今日、伯母さんにどうしても聞きたいことがあって会いに行った。
伯母さんは、駅前の花壇の所に腰掛け、待っていてくれた。 しばらく会わない間に、髪が真っ白になっていた。 この間電話したときに、私髪真っ白よって言ってたけど、本当にそうだった。 駅前は再開発でずいぶん様変わりしていて、 私が住んでいた頃とは全く違った街のようにすら見えた。 その街に変わらずある喫茶店に入り、 二人でコーラなんか飲みながら話をする。 「お母さんから預かってきている物があるのよ。 なんか30代の時に作った着物なんだけど、派手だからって」 そりゃそうだよね、60なんだし(笑)。 でもそれも含め、何だか一杯入った荷物を渡された。 いろいろと気になっていることをまず訊いた。 大伯母さんの介護のこと、親戚のこと、知人のこと…… いろんな事が起きるんだなあとしみじみ思った。 そして、伯母さんの方から、 訊きたいことってなに、と切り出してきた。 私は持っていた戸籍謄本を取り出して、 なんか弟がお腹にいる間に籍を抜いてるっぽいんだよね、 という話をすると、そうではないことが判明。 これはちょっと一安心。 2番目の父のことは訊くの忘れちゃった。 まあいいんだけど。 そして妹のこと。 妹の父親である3番目の父が、 籍を入れないと実子扱いにならないのかなんなのか、 籍を入れて3日ほどで除籍している。 戸籍のことは詳しくは判らないけど、どうなんだろうね。 新しい奥さんと籍を入れても、長女として戸籍に表記されるのかな? でも、改正原戸籍をとると、うちの母の名前が出てくるわけだよね…… とる機会がないといいけれど…… そして伯母さんが渡した荷物の中に、 母が書いた手紙が入っているから、と言われた。 駅前で、来月の約束と段取りを話して、 笑顔で別れることができた。 昔は恐くて、見られなかった母の筆跡。 母の筆跡だと思うだけでとても恐かった。 触れることすらできなかった。 でも今回はすぐに読みたいと思った。 伯母に渡されたバッグの中を探っていく。 いろいろと探してみたら、 白い伊東屋の和紙の封筒が入っていた。 最初に、忘備録、と書かれ、 半紙のような、でも便せんサイズの和紙に、 サインペンで書かれた文字。 そこには私の、知らなかった真実があった。 母は、21歳で結婚して、しばらく父の一番上の兄が営む、 ブロック建築の仕事を手伝っていたらしい。 働いていた話なんて、聞いたことがなかった。 そのお兄さんは早くに亡くなったらしく、 義理のお姉さんとその会社を切り盛りしていた矢先、 使用人二人を乗せた車で父は事故を起こし、 幸い大きな事故にはならなかったものの、 先方が悪かったにもかかわらず、事故処理ができずに、 父の同僚が全て処理をしてくれたそうだ。 このあたりのことは少し聞いている。 事故を起こしたのに、救急車を呼ぶ前に自分に電話をかけてきて、 どうしようと言われてさーっと冷めてしまった、みたいに。 お兄さんが亡くなったのは、弟が生まれた直後だったらしく、 弟を預けて出席したのに身の置き場すらないような状況だったようだ。 というのも、亡くなったお兄さんは、 母の親友で、不倫の末、一緒にいたホテルで亡くなったからだったそうだ。 その親友は、お兄さんの会社の事務所で働いていて、 そこから不倫関係になり、心中しようとしたのだろう。 入社の紹介をしたのは父だったらしいのだけど、 自分の親友であったために、 父方の祖母や義理のお姉さんにも恨まれ、 まだ出産後まもない体で駆けつけても部屋にすら入れてもらえず、 父もまたかばってはくれず…… そうしてこの人のことは信頼ができない、と、 様々な事の積み重ねから思うようになった頃、 高校生の頃に知り合っていた2番目の父と再会し、 2番目の父は母より7歳年上と言うこともあり、 大人の頼れる男性である父に惹かれていき、 最終的には離婚に至ったのだそうだ。 私が訊いたことのない、事細かな話。 単純に冷めてしまったとか、そういうことではなかったんだね。 でもその忘備録はこう続いている。 「それでも現在思うと、後からつけた理由かも知れません」と。 私を手放さなければ、離婚はできなかったらしく、 私と引き替えに、母は2番目の父と結ばれることを選んだ。 これを読んで、おばあちゃんが、 「だから反対したのよ」と2番目の父と離婚したときに言っていた意味が分かった気がした。 そうして、私は父に引き取られ、 最初は、父が育てるという約束だったにもかかわらず、 父ひとりでは育てることができなかったので、 父は実家に連れて行ってしまった(伯母さん談)そうで、 そんなことをされてはたまらないと、 うちの母方の祖母は、弟を連れて京都まで逃げ、 その後伯母の友人宅に身を寄せていたけれど、 結局それにも限界があり、 女として生きたかった当時の母は、 弟を友達の家をたらい回しにしてしまったのだ。 そう、愛する人と、ふたりでいるために。 母としてではなく、女として生きるために。 判らなくはないし、結婚したからといって女を棄てろとも思わないけれど。 私を引き取ることになったきっかけは意外なことだった。 実父の義姉がやってきて、 山梨で私を見たとき、 山梨の祖母は、母の娘である私を、母を恨むように接していて、 見るに見かねるから早く引き取った方が良いと知らせてくれたのだ。 そのあとまもなく、実父はよほどお金に困っていたのか、 大伯母にお金の無心にやってきたのだそうだ。 既に離婚して、縁も切れていて、まして母でも祖母でもなく、大伯母に。 その時、大伯母は、 「お金は返さないで良いから、あの子を引き渡してちょうだい」と、条件を出したのだ。 そのあとは、母と私が再会したときのことが書いてある。 私、母のことは、「お母さん」ってずっと呼んでいたけれど、 昔はママって呼んでいたんだね。 だから、「ママ」って呼んでみたいって言ったとき、 凄く嫌そうな顔をしたんだね。 実父のことを思い出すから。 その後、実父は再婚するのだけど、 母が親権の手続きをしていなかったらしく、 保険金や遺産が行かないように手続きをしてくれと言われたことに、 母は「私は他人でも実の子なのに」と酷くショックを受けたらしい。 でも、父にしてみれば、のちのちもめ事になっても困るから、 というのもあったのだと思う。……というか思いたい。 だって、父の姉さんがわざわざ足を運んで、 あまりに酷くて見るに堪えないから、といったことを、 父は何度か見ていることになるんだよね。 父はその時どう思ったんだろう。 どうでも良いと思ったんだろうか。 でも、綺麗な想い出だけ、父のことは残っていればいい、と、 今回、母のこの忘備録を読んで思った。 そして、父ではなく、父のお姉さんに会って話が聞きたいと思った。 事実を知っているのはその人だけだからだ。 事実を知って、それを受け止めることで、前に進んでいきたい。 淡々とした気持ちで、私はそう思った。 そうしたら、時間はかかるかも知れないけれど、 また母に近づき、向き合えるかも知れない。 そう思ったのです。 でも、一番大きかったのは、大伯母のことでした。 大伯母がいなければ、今の私はいなかったはずなのだ。 そしてその大伯母が今、認知症で口もきけない状態になっている。 私が返す番なんだ。 そう思いました。 私のことを覚えていなくても良いし、 私のことが判らなくても良いから、 大伯母にお返しをしたい。 面倒を見たいと思いました。 贅沢なホームに入れてあげることはできないけれど、 でも多少のことはできるかもしれない。 清潔な服を着てリハビリを受け、 少しでも元気になってくれて、 亡くなる前に笑顔をまた取り戻してくれたら……。 母からもらった物も、大切に使おうと思う。 着物は仕立て替えて、大事に使おう。付下げだったから。 ワインの栓を抜くやつみたいのは人にあげると思うけど(笑) 荷物の中に果物にかけるネットみたいなものにくるまれた、 ガラスのフォトフレームがあって、 なんだろうと思ったら、 一番気に入っていた、私が小さい頃の写真の入ったフォトフレームでした。 母は、もう死ぬまで、 私と会えないだろうと、覚悟を決めて、 これを入れたんだな、と思いました。 そうならないように、 お互いを認め会えるように、 私は努力するよ。 そのかわり、お母さんも、努力して欲しい。 私のことを手放したことを悔いなくてもいい。 だけれど、もう私を否定したり、皮肉ったり、からかったりしないで欲しい。 女同士としてつきあえるかと思ったけど、それも叶わなかったから、 せめて、そんな風に、友達みたいにつきあえるようになるように、 私も治療、頑張るから、 お母さんも、自分と向き合って欲しい。 今までしてきたこと、色々振り返ってみて欲しい。 でも、きっとそれも叶わないんだろうね。 もうのんびりとした老後を送りたいと、最後に綴られていたから。 お母さん、 産んでくれてありがとう。 私は今、たくさんの人たちに囲まれて、 理解のある旦那さんがいて、 とてもしあわせです。 生まれてこなければ、それはできなかったこと。 それは叶わなかったこと。 病気になったことは辛いことだけど、 私はこれからも前向きに、 まっすぐに対峙し、向かっていくよ。 また会う日まで。 テーマ:心的外傷後ストレス症候群(PTSD、C-PTSD) - ジャンル:心と身体 ![]() |
昨日の午後、久しぶりに、生まれ育った街まで、
改正原戸籍謄本を取りに行った。 父の戸籍をたどるために。 でも何ヶ月もいけずに、封筒を送れずに、 それが遅々として進まないので NHKのディレクターさんにお願いして、 一緒に行ってもらいました。 区役所へ、駅から向かう途中は、 音無川親水公園。 子どもの頃はただの小川だったこの場所も、 とても綺麗な公園に変わっていた。 桜を眺めながら区役所の方へ向かい、大通りに出ると、 飛鳥山光園の桜が見えた。 あんなに綺麗だったっけ。 住んでる間、なんで気が付かなかったんだろう。 区役所は昔と違って、庁舎がいくつも増えていて、 改正原戸籍を取れる場所を探すのにちょっと手間取ったけど、 窓口の人に書類の書き方を教わり、 しばらく待つと、窓口に呼ばれ、 「判りましたよ、どうぞ」と、2通の改正原戸籍を渡された。 父の本籍は意外に近いところにあった。 でも予想していなかった場所に。 千葉県船橋市 山梨ではなかった。 再婚したからだろうね。 でも、その2通の改正原戸籍には、 想像以上に辛いことがたくさん詰まっていた。 私が生まれて、2年目で協議離婚が成立し、 親権者は母になっている。 弟がお腹にいる間に、協議離婚が成立していることが、 そこには記されていたのだ。 その後、私は父の実家に預けられたことになる。 離婚が成立したのに、何故私や弟は、人に預けられなければならなかったのか。 そして、2番目の父との入籍してはいるけれど、 私と弟は養子縁組をされていない。 あくまで、「母の子ども」ということ。 これは予想をしていなかっただけに、ちょっとショックだった。 その父と協議離婚が成立したのは私が中学の時。 その後、3番目の父と「籍は入れない」と話していたのに、 よく見たら入籍している。 妹が生まれた約1年後に。 その前には父は妹を連れて確か家を出て行ってしまったはずだ。 妹が自分の娘なのだという証拠を残すための入籍。 その後すぐ除籍して、父の方に妹は戸籍を移している。 父には別の奥さんがいたはずだから、その戸籍に移しているとしたら、 妹は「養女」か「子」ということになるのかな。 妹は今二十歳だけど、 結婚をするときや、パスポートをとるときに、 戸籍を見て初めてその事実を知ることになるんだろうか…… 可哀想すぎるよ。 母の生きざまみたいな物がそのままに記録された改正原戸籍。 改めて、古傷をえぐられるような感覚を覚えた。 私はてっきり、弟を産んでから、預けられている間は離婚が成立していなかったと思ってた。 でもそうじゃなかった。 だって、私、お父さんと二人で、 弟が生まれたのを見に行った記憶があるもの。 弟の名前には父の名前から一文字取っているし。 それなのに何故? 妹のことも母にしてみれば、三番目の父に騙された事への、 一番効率の良い報復だったんだろうけど、 それで傷つくのは誰? 妹じゃない……。 酷すぎるよ。 その後ちょっとホワイトフォックスに寄ってから、 相方に電話をして、待ち合わせをして。 相方がお寿司を食べに行こうよっていうから、 お寿司を食べに行って。 相方はそのまま出かける予定だったので、 私はひとりで。 家にひとりでいたくなかった。 高円寺で馬鹿騒ぎできる、ラスメニーナスを目指すも、 良く考えたら月曜日。 街の中にぽーんとひとりきり、放り出されてしまった感じ。 近くのワインバーでとびきり良いワインを開け、 またしても帰りにマスターにキスを迫られる。 まったく。 そのあと、西荻までもどって、ミルチに行く。 途中で記憶が断片的になってるけど、 最後、アシャに肩を回されつつタクシー乗り場に引きずられるようにして、 帰ったような記憶があるのだけど、 帰りにしっかりコンビニで買い物をして帰ってきてた(笑) 目が覚めたら、頭痛が酷かったけど、 昨日のことはなかった事みたいだった。 誰に細かい話をした訳じゃないけど。 話しても辛い生い立ち話なんて、相手はつまらないよね。 でも、キツイよね。 改めて目の前にたたきつけられた現実は、 あまりにも残酷なものだった感じがする。 たぶん私や弟が預けられたのも、 母のわがままから始まったこと。 女として生きたいといった母の、わがままから始まったこと。 子どもは、親のおもちゃでもなんでもないのに。 まるで物みたいに。 本当は今日、とある作家さんに会う予定だったんだけど、 相方にだけ行ってもらった。 でもひとりでいることがとても辛い。 ひとりが辛い。 何かして忘れたい。 眠るのでも良いし、友達と飲んではしゃいでも良い。 ともかくなんとかして忘れたい。 でも忘れるわけにはいかないし、忘れる事もできないだろう。 父の居所や祖母の埋葬地を知るまでは。 今夜は何をしよう。 どうしたらいいだろう。 どうしようか。 また夜の街に出ようか。 テーマ:病気と付き合いながらの生活 - ジャンル:心と身体 ![]() |
昨日、うちの伯母に電話をして、
父の居所を捜している話をした。 伯母さんはとても心配そうに、 「傷つくこともあるかも知れないよ」といわれた。 そんなことは承知の上だ。 病気の状況が、一時的に悪化するであろうことも、 自分の中でも、相方の方も、織り込み済みだ。 そして、とてもショックなことを聞かされた。 「むこうのおばあちゃんはもうとうに亡くなったってだいぶ前に聞いたわよ」 うすうすは考えていたことではあるけれど、 それを知らされないということがショックだった。 少なくとも、実父の母親であり、私を預かったこともある人。 何故、誰も私に知らせてくれなかったのだろう。 母だって、伯母だって知っていたのだろうに。 弟の携帯の番号を教えてもらい、 電話をするが出ない。 誰に自分の気持ちをぶつけて良いのか判らず、 夜遅いのに、親友の携帯に電話を入れた。 もし、自分に子どもがいて、 その子どもが大きくなってから会いに来て、 離婚の真相が聞きたいと言ったら、 話をしてくれるだろうかと訊いた。 「俺だったら、答えないなあ。話さないと思うよ。 傷つくだろうし。話さないと思う。」 それがひとりの人間だとしても、だ。 どうして子どもには説明をしてもらえないのだろう。 どうして一方的に引き裂いた親子の仲を、 追うことが許されないのだろうか。 全ての謎がそこに詰まっているのに、どうして私を、 ひとりの人間として受け止め、治療のために力を貸してくれないのだろうか。 母親もしかり。 母は私のために、カウンセリングを受けることを拒否し、 そんなことをするくらいなら死んだ方がマシだとさえ言った。 母親と私の関わりが問題なのに、 もうそれはあなたたちの問題だから自分たちで解決しなさいって…… 全然話がかみ合わないし。 弟から、連絡があった。 弟は 「自分の親は、母親と、伯母と、おばあちゃんだと思っているし、それで十分だから、 お父さんには会わなくて良いよ。 お姉ちゃんは病気のこともあるから、別だと思うし、会ってくればいいと思うよ。」 そんな風に考えられる弟を、羨ましいと生まれて初めて思った。 幼少時に虐待を受けた子どもの半数は、 PTSDにかかると言われているけど、 彼はそれを免れていたんだものね。 私より辛い思いをしてきたのに、小さかった分、 戻ってきてから柔軟に物事が考えられたのかも知れない。 帰ったときには離人症なんかをすでに発症していた自分とは違うんだろうなあ。 いつも思う。 結婚するときなんかに、 家と家とが結婚するという人がいたりもするし、 血縁関係をとても大切にする人がいるなかで、 私の家のように、過去にあったことは何もなかったかのように、 それは存在しなかったかのように何も知らされずにいる人もいる。 血というのは、濃いのだろうか、薄いのだろうか。 私の中では、というか、うちの家族にとっては、 それはとても希薄な物なのかも知れない。 実際、私が病気になったからと言って、親が心配をすることもない。 たぶん死んだって、義理で泣く程度だろう。 さまざまなものが欠けたままに、今でも生きている自分。 そしてこの部屋を出てしまったら、 帰る場所のない自分。 帰る場所なんて、私にはここより他にないのだ。 それはとても切ないこと。 とても悲しいこと。 弟から来年には結婚するつもりだと聞いた。 いい式ができるといいねって返事を書いた。 私は招かれざる客だから。 式が終わって落ち着いてから、 プレゼントをするのも悪くないと思うし、 私はそれでいいやって思ってる。 もう今の私にとっては父と母の両方がいないんだなと、 今更のように実感をした。 ひとりで生きていけるようにならなければ。 早く、精神的に自立しなくては。 両親がいなくても、それが当たり前であるかのように、できなければ。 私はこれからも、私と闘い続け、私自身に勝っていかなければならない。 いろんな事を聞いたせいか、今日は本当にベッドから起きられなかった。 座っていることもつらいくらいに。 でも大丈夫。上手く行くよ。 きっと大丈夫。 私はもっと強くなれる。 もっと、もっと。 テーマ:病気と付き合いながらの生活 - ジャンル:心と身体 ![]() |
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