消化のスピードとオプティミズム
今日は午前中から病院巡りみたいな1日。

午前中呼吸器の先生の所に行って喘息のことを相談したついでに、
このあいだ、鮮血便が出たのでびっくりしたことも相談。
来月初旬に大腸内視鏡検査が決定。
何もないと良いんだけどね。
なんでこんなにいろんな事が続くかなあと思っていて、
全く別のことで友達と電話してたら、
「だって小厄の前厄でしょ、彼」
といわれる。
あれ、ひょっとして私もかぶってる?的な(笑)。
これはお祓いにきちんと行かねば。

一度家に戻って着替えたり色々してから、
夕方からグループカウンセリングのテストに。

今日は私も含めて総勢13名。
意外なことに、私と同じ世代の人の方が少なくて、
いわゆる「団塊の世代」の人が多い。
その1人1人が、その日までに気付いたことや思い出したことをはき出す。
辛い思いをした経験を5〜10分くらいにまとめて、ともかくはき出すのだ。

進行役というか、カウンセラーとして同席しているのは、
私が通っているセンターの所長である有名な先生。

初めて受けてみて思ったのは、
グループのメンバーのトラウマまで、
ある意味で背負うような感覚になるのでとてもヘヴィーだということ。

けれども、すごく共感できたり、同じようなことがあったりすることを、
うんうん、って頷きながら聴いたり。
理解はするけれど同調しない心が保てないと、
ものすごく厳しい場所だなと正直思った。
下手をすると精神的に不安定になったりもすると思う。
以前の私だったら確実にそうなっていたと思う。

でも、誰かが今話している話を自分に置き換えて、
似たような経験をしているだろうかとか、
ふと考えると合致するものがあったりして、
ああ、あれがそういうことだったんだ、と思ったり。
同じように思っている人がいることで安心したり。

1人では導き出せない答えや気づきがその向こうにある感じ。

そうして、いろんな人の話を聞き、
私はテストだったので、どういうきっかけでグループをやろうと思ったのか、
そんな感じのことを訊かれる。

薦められたというのは大きいけれど、
私はともかく、なんでもいいから自分捜しの手がかりになることが欲しかった。
自分が未来を歩いていくために過去を見つめ直したい。
また、依存症と親との関係性や、
様々なことがアダルトチルドレンという問題の中にある気がしていて。


一番最後に先生が、グループでしていくことについてまとめてくれたのだけれど。


ここは、飽きるまで話す場所である、ということ。
トラウマについて、飽きるまで、何度でも話せばいいと言うこと。
過去のことを引きずって、などと否定をする人は誰もいない安全な場所だと言うこと。
飽きるまで話していくことで、
トラウマという凍結された記憶が溶け出し、
最終的に水になって流れていくまで、
何度も何度も同じ事を繰り返していく場所。

そして「過去・現在・未来」という考え方は、
極近代的な考え方で、
未来が大切だから過去は忘れてしまえと言うけれど、
過去はとても大切なものであり、
過去は消しゴムで消すようには消えないと言うけれど、
客観的な過去を変えることはできると言うこと。
変える、というのは、起きたことを自分の都合の良いように解釈を変え、
こういう意味だったんだという別の刷り込みをする、ということでもあるかもしれない。

ある意味、オプティミストになろう、というような所。
まず自分を自由にして、どう発想を変えていくか、というような。
自分の中の枷をどう外して、どう考え方を切り替えていくか。

そして、セーフティ・プレイスを作るということ。
自分はここなら絶対安心できる、という場所を作る。
これは自律訓練法の時に心地よい景色をイメージするのにとても似ている。
現実的に安心できる場所を探しておく。
これは意外と、機能不全家族に育った人間には重要だと思う。
だって、何があっても実家に帰りますとか言えないわけだから。
安心して、誰にも責められず、リラックスのできる場所を確保しておく。
何かあったら逃げ込める自分なりのシェルターだ。

トラウマの治療法には、
PEやEMDRという方法があるけれど、
グループカウンセリングはデブリーフィングに当てはまると言うこと。
それを何度も何度も繰り返すことで、
トラウマをゆっくりと昇華していく、ということだ。


終わってから最後に、先生から、
「どうする?参加する?」
と訊かれて、
とりあえず1日家に持ち帰って、
それから決めようと思う、と話して帰ってきた。

でも、毎回必ず出なければ行けないわけではなくて、
休みたいときや、休まないと精神的にもたないときは、
お休みできるようなので、
この方法はちょっと面白い方法だなと思っていたりもする。
たぶん参加することになると思う。

過去のトラウマについて何度話しても誰にも否定されない場所。
そして、他の人のトラウマから、自分の気づきを得られ、
先生のまとめから新たな道筋を見つけられる、ということ。


今日の内容はある意味で中身がとても濃くて、
それらを消化して気づきを得るまでに、
少し時間がかかることの多い私は、
何だか頭がぐるぐると回転したまま止まらない感じになっている。
喘息の寝る前の薬で眠気は来てるし、
これで眠剤を飲めばすぐ眠りに落ちそうな感じはするけれど、
今日のことをこれから次に参加するまで、
ぐるぐるぐるぐる考えるような気がする。


今日はネオリベラリズムと格差社会の話なんかも出てきて、
かなり先生の話は面白かった。
選択責任というものの罠についてとか。
ためになる話もすごくたくさんあった。


でも今日はもう眠らないと。
聴きたいCDとかもあるけど、明日また鍼灸院通いで早いんだった。


過去は大切なもの。

過去は変えられるもの。


そんな言葉に目から鱗が落ちた。
そうして過去を変えていくことで、
未来の自分はもっと生きやすく、楽な自分になれるのだという、
一筋の光のようなもの。


デブリーフィングという方法で、
私のトラウマがどれほど軽減されるのかは、正直判らない。
氷ってしまった記憶も、
自分で消し去ろうと蓋をしてしまった記憶もある。
それがよみがえってくる可能性も、もちろん、ある。


でも、いつまでも辛い、苦しいって言っていても始まらない。
自分が迎え撃たなくちゃ自分を守れない。
本当の自分に帰れない。


まだ、オプティミストになれるほど、私は吐きだしてもいなければ、
泣いたり喚いたりもしていない。


ともかく光の見える方へ。


そのために今日は眠ろう。
明日からまた、色々考えれば良いんだ。


お疲れさま、今日の私。

明日からまた、新しい鍵を手に、冒険は続いていく。

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【2008/07/19 03:09】 | カウンセリング | トラックバック(0) | コメント(1)
アディクションと本当の気持ち
今日は遠方から来た知人とランチした後、
2週間ぶりのカウンセリングでした。

鬱が寛解して、PTSDを発症したりしていたり、
その後ACという壁にぶつかりながら、
一時的にお休みしていたカウンセリング。
再インテイクしてからは、
PTSDについてよりも、アディクション(依存症)であったり、
相方との間の問題を探っていくかたちになっています。
だから、カウンセリングの間隔も時間も短くしています。
前は3週間に1度50分でお願いしていたんですが、
今は10日から2週間に1度、30分という感じです。

というのは、日々の生活をモニタリングする、
と言う要素が一番強かったりするため、
ともかく自分の行動などに注意を払いながら、
カウンセラーさんに報告することで、
どうアディクションを、負担が少なく楽な物にしていくか、
相方との関係も、何が一番根底にある問題なのか、
それを探るための物だからです。

今日話してきたのは、
アディクションがガーデニングに今向いていること、
ネットでの買い物が減ったこと。
相方との関係に関して言うなら、
家事ができなくなる悪循環とアディクションの関係性、
そして、家庭内の決まり事に関する問題、
家事ができなくなる事への罪悪感、
「責任」を全うできない事への罪悪感と、
自分をどこかで責めてしまうクセについて。

あまりつまびらかにできないデリケートな問題なのですが、
30分が過ぎるのはあっという間。
わーっと話して、それに対して先生が問いかける感じで。
でも考えさせられることもたくさんあるし、
本音の部分でこう思っていたんだ、と、
自分の口からこぼれる言葉で気づくこともある。

ここは相方も見ているので、書けないこともたくさんあるけど、
ああ、私こういう事を考えていたんだ、と思ったり。

今の私は、5角形くらいの円盤みたいな物が乗った、
やじろべえみたいな心のバランスを持っていて、
そのどこかに重心が移るとかたんと円盤は倒れる。
5角形のどれもに上手く重心を置きながら、
いかに生活をしていけるか、
どうバランスを保っていくかがとても難しく、
それを保つ方法を探してるんだなって。

そういったら先生は、
「そういう風に思ってくれるの、私嬉しいな」って。

嬉しいという言葉が今は何を意味しているのか、
私にはまだ分からないけれど、
果たして、私だけに問題があるのか、
それとも相方にも問題があるのか、
また、相方もカウンセリングを受けるべきなのかは、
これから2週間のモニタリングで考えたいと、
先生は言っていました。

夫婦の問題だからね。
本当ならふたりで別の先生に、
というのが一番良いのだろうけれど、
気が進まない人を無理に連れて行くつもりもないし。
先生が必要だというのであればそういうかな。
親の時もそうだったし。

でも親のことで思ったように、
私がいくら変わっても、相手も変わってくれなかったら、
その関係は変わることがないと私は思っていたりします。

アディクションについては、額が小さくなってきていたり、
(今、休養入院時の負の遺産を整理中ですが(笑))
今まで依存していた物にもそれなりにお金を落としているので、
全く興味がなくなってしまったりすることもないし。
着物は、小物くらいしか買うことがなくなってきたけれど、
あ、この着物直しに出してないな、とか、
人形たちの服を着せ替えてないなとか、
ベースコートを買うついでに、ネイルカラーの新色を少し買おうかなとか、
いろんな事を考えたり。
そんな風にまんべんなく気に掛けつつ、
相方が「ベランダにハーブを植えよう」と言ったことから、
ハーブの苗を大量に取り寄せたり、
季節の花を植えてみたいと言う欲求が出てきたり。
趣味が増えているといえばそうなんだけれど、
どういう形で増やしていくかが問題であって、
いきなりどんと買わなくたっていいのにそうしてしまう自分がいて。

そのこともこれから考えなくちゃ。
このあと、バッチフラワーの先生に、
今月のコンサルテーションシートを書いて送る予定です。

明日は仕事の締め切り。珍しく書き物の仕事です。
明日早い時間に終わると良いんだけどなあ。

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【2007/11/02 22:27】 | カウンセリング | トラックバック(0)
彼のトラウマ、私の依存症。
昨日、退院後初カウンセリング。
やっぱり30分のセッションは短いなあと今回感じた。

新しい先生と今取り組んでいるのは、
PTSDに関してではなく、
家族関係と依存症についてなんだけれど、
私が、甘えるのが下手、ということについて、
この間書いた、できなくなる家事の順番が決まっている、
それはおそらく子供の頃の傷からではないだろうか、
と言う話をしたときに、
「うわー、それは切ないね。切ない。」
と言われたりした。

自分自身は何も感じなくても、
周りの人にはそう見えるんだなって思った。

依存症に関しては、
家計費を今月末からある程度渡されることになったことを、
今までの経緯から全て説明した。
「よく決心できましたね。どうして決心できたんだろう」
と訊かれたとき、
1度経験したとき、それが役に立ったと思ったから、
と説明して。
彼が決心したことについては触れず、
今のところ彼もカウンセリングを受けるようには言われていない。

ただ、今回もまた以前のように、
数ヶ月で終わってしまうかも知れない不安があると話すと、
「終わることを不安に思わなくて良いんです。
 依存症っていうのは、依存をしている期間と、
 そうでない期間が弛んでくることが大切だし、
 依存しないで済んでいる期間に、何をしているかが重要だから。
 何をしたから依存しないで済んだのかが大切なんです。」
って説明を受けた。なるほどなー。

でも依存症から脱出するのは、
ある意味では自分との闘いでもあるんだろうな。
私は今までの人生、たぶんいろんな物に依存しながら生きてきたと思う。
ある時はそれが恋愛だったり、
音楽活動だったり、
過食だったり、
仕事だったり、
買い物だったり。

それが単なる依存と捉えられるものなのか、
そうではなく、別の物であるのかは、ちょっと難しいけど、
これから自分を見つめ直して、
闘って行かなくちゃいけないんだなと思う。
子供の頃の傷が残していった置きみやげ、多すぎだよね。
それに親は責任なんて、感じてないだろうなあ。
親にとってはどうでもいいことだろうね。
自分の人生には関係のないことだもの。

宿題もしっかり出てる。
次のセッションまでに考えておかなくちゃ。

帰り際、次の予約をするときに、
テレビ出演の話をした。
「よくご決心されましたね。大事にしてくださいね。
 番組、私も見ますから。」
先生がメモしてたけど、
良く考えたらその日は収録日じゃん(笑)
次のときに伝えておかねば(笑)。

今日は結婚記念日。
本当は今日のために届くはずだった物が届かず、
未だに連絡がないのでちょっとイライラ。

それより部屋を掃除したり、
買い物をしたりしに行かなくちゃなあ。
今日は昨日できなかったお月見ディナーを、
ベランダでしようと思ってるから。

お月見と結婚記念日、いいかも。
月が満ちていくように、自分たちも満ちていくことができたらいいね。

やる気が出ないけど、がんばれるかなあ。

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【2007/09/26 14:15】 | カウンセリング | トラックバック(0) | コメント(0)
再インテイク
一夜明けて、毎朝のようにカプチーノを淹れて、
(最近相方はササヘルスカプチーノ(笑)
 抹茶買っておくように言ったんだけど忘れてないかな)
久しぶりに堪能してから、シャワーを浴びて、
着替えてメイクして、外へ。
出かけるときに相方はいなかったけど、
モネぞう(オカメインコね)が寂しがってた。
ごめんよ。

久しぶりに原宿まで。
カウンセリングを受けるためだ。
今入院している病院では入院中のカウンセリング適用がないので、
なら外へ行こうと思い立った。
でも今考えると外の方が都合が良かったな。
この間の乖離のこととか全部話せたし。
これが同じ病院内だったら、閉鎖に入れられちゃうところかも。

以前担当してくれていた先生は退職してもういなくて、
(おそらく結婚されたんだと思う)
新しい先生とご挨拶。
ほぼ毎日いるようなので、予約も取りやすそうで助かるな。

去年の秋を最後に来ていなかったカウンセリング。
再インテイク、と言う形で、
近況、環境の変化や今悩んでいること、
何にテーマを絞っていくかを話していく。

EMDRを勧められたけれど、
1セッションが高額なのと24時間人が見ていてくれる環境が作れないので、
言ってみれば、PTSDの治療を「あきらめて」、
ともかく付きあっていこうじゃないのという形にした話。
隣にファミレス、はす向かいにスーパーができて、
休みともなれば1日ヘッドフォンをして過ごす日々が続いたり、
朝からフラッシュバックを起こしたりということが理由で、
今のマンションに引っ越しをしたわけだけど、
この2ヶ月の間に、
引っ越し、海外出張、大きな撮影とその準備や、
秋以降につながりそうな仕事の手配など、
かなり大きなことが立て続けにあったことや、
相方が鬱であること、
何かにつけて怒られたり怒鳴られたりすること、
(本人には怒っているつもりがないが語気は強い)
最終的には乖離を起こして自殺未遂をしたことがきっかけで、
こりゃマズイと思って休養入院に到ったことなどを話す。

実を言うと、今回のカウンセリングのテーマは、
私のPTSDのこととか、相方の鬱のこととかじゃなく、
二人の関係の修正にある。

いつからこうなったんだろう、と思うようなことを、
いろいろと考えながら、
改めて二人が、一緒に歩いていけるかを考えるためのもの。

バッチのセラピストさんが言うように、
私は今まさに曲がり角に来ていて、
どう曲がればうまく曲がることができるのか、
それを考えなくてはいけないのだけれど、
どんなに一人で考えても、
「どうしてこうなったんだろう」の答えが出ない。
そんな時には臨床心理士さんの手を借りるに限ると思ったのだ。

今までも、辛いことや苦しいことがたくさんあったけれど、
別れようと思ったことは、私にはない。
相方は思ったかも知れないけど。私が鬱だった頃とか。

それでも何とかやってくることができたのに、
今何故こういうことになっているのか、
改めてお互いを見直して、やり直す必要があると思ったのだ。

カウンセラーさんは、
「こういうところを使い慣れている感じがするし、
 どういう形で進めていきたいですか?」
と訊かれるけれど、それも判らない。
流れに任せていくしかないかなと思ってる。

色々話し合った結果、
10日に1度、1回30分のカウンセリングを継続して、
10月いっぱいくらいまで様子を見て、
必要が出てきたら相方もカウンセリングを受ける、ということになった。
カップルカウンセリングじゃなくてね。個別。

たぶん話さなくちゃいけないことはたくさんある。
昨日、眠れないまま色々考えていて、
ひとつだけぎくしゃくし始めた理由を思い出した。
複雑な問題だけに、私1人ではおそらすまないだろうなと思う。

今回の宿題は、
「今までいろんな危機を2人でどうやって乗り越えてきたのか」
ということを思い出すこと。
結論は案外早く出ちゃった。
ディティールはともかくとして、
相方の立場も色々あるのでここには書かずに置こうと思う。

眠れてないからだるいけど、
朝の空気を吸いに散歩に行こう。
少し気が晴れるかも知れないし、
ただ疲れるだけかも知れないけど。

また1日が始まる。まあ今日も、本能の赴くままに。

テーマ:病気と付き合いながらの生活 - ジャンル:心と身体

【2007/09/08 06:52】 | カウンセリング | トラックバック(0) | コメント(0)
子供は繊細なイキモノ。
久し振りにカウンセリングに行ってきた。
ほぼ1ヶ月ぶり。仕事もばたばたしていたし。

バッチの好転反応その他で出てきた感情について、
カウンセラーさんと話してまとめてみる。
今月は何かと辛い1ヶ月だった。
振り返ってみたら結構いろんなことがあったのね。
フラバしたり、パニック状態になっちゃうことが多かった。

ある種、感情面でのフラバというか。
ぶわーっと感情が何かをきっかけに出てくると、
その感情をとっかかりにして、過去を生きている私が出てくる。
まるで別の人格が私の中にあるみたいに、
その感情を抱えたときの、私の生々しい感情が甦ってくる。
大人の自分が、冷静に物事を考えられる状態にならなくなる。

その中に「怒られることが何故怖いのか」ということや、
「金銭的な問題がちょっと起きるとパニックになるのは何故か」
というようなことがあって。
それが今日は解った感じがしたなあ。
ああ、そうかもしれない、そうだなあと。

何故怒られることが怖いのか。

この間も書いたけれど、私は誰かが怒ると、
「自分が話さなければ何も起こらない」と思ってしまうのだけど。
自分が余計なことをしなければ怒られない。
だまってやることやっていれば置いておいてもらえる。

それこそが原因なわけで。

私は、親に「捨てられた」訳ですよ。
誰も助けに来ないことが判っていて、
そこで虐待に遭っていた。
誰かに助けてもらえるまでそこで生きて行くには、
そこに置いてもらう必要があった。
怒らせなければ捨てられない。
そう「怒られる=捨てられる」なのね。
子供にとっては、生死に関わる問題なわけ。
だから、怒られることは恐ろしいこと。
それを避けるためなら、なんでもやった。
どんな自由を奪われようと、辛い思いをしようと、
いい子にしていればなんとかなるということ。

フラッシュバックと共に、徐々に、断片的に明らかになる過去が、
子供にとって過酷で壮絶であったことは、想像に難くない。

子供らしい生活が送れなかったこと。
ほんのちょっとのことで人が信頼できなかったこと。

子供って繊細だ。
自分が思っている以上に、子供の頃の私は繊細だったんだと思う。

あの父方の実家から、東京に連れ戻してくれた父は、
おそらく信頼できる人だったんだと思う。
夏休みになるとやってきて、虫かごを買い与えてくれたり。
唯一、ものを買ってとねだってもいい相手。
だから、東京に戻る日、車の中で、飲み物はいらないか聞かれて、
アイスをねだったことをすごく良く覚えてる。

でも、母親にはねだらなかった。
一緒に買い物に行っても、怒られると思ってねだれなかった。
ねだることは悪だと思ってた。

たぶん、母親にねだらなかった理由はひとつだけ。

再会したときに、私を抱きしめたりはしなかったから。
ただ泣いているだけで、私に触れようとはしなかった。

母親は自分のことを考えていないことが判ったんだと思う。

でも祖母と買い物に行ったとき、
何でも買ってあげるよと言われて、
ずいぶん高価なおもちゃを選んだ記憶がある。
(あとで高かったと母に話しているのを聞いて罪悪感を覚えたけど)
何でもいいよ、と言われて、戸惑いながらも、
本当に欲しいなと思うものをねだれたのは、
祖母は私を見て真っ先に抱きしめて、
すぐにお風呂に入れてくれたからだと思う。

手を繋いでくれただけの母とは、
子供にとって全然違っていたんだろうな。
私はおばあちゃんっ子だったし。
高校生の頃はよく、口答えもしたけどね。
それも、母親にはしなかった。

怒られるとこの人は私を捨てると思っていたから。

いつまでもその気持ちが拭えなかったんだと思うし、
今もそれが続いているんだと思う。

お金のことに関して言うと、
そうして、窮屈な、何も信じられないような生活の中で、
唯一自由になるのが、毎月もらえるお小遣いだったからだと思う。
ねだらなくても、自由に使っていいよって渡されて、
自分が本当に好きに使える物。
誰に気兼ねすることもなく、自分が好きに出来るもの。

だからそこに依存しているんだと思う。
お金を使うことで、自由になった気がしてる。
それで解放される気がしてる。
だから、それがちょっと上手く行かなくなると、
手足をもがれてしまったような不自由な気持ちになる。
不安になる。

大人になった今は、
「自分で稼いだお金」と認識できないとダメみたい。
人からもらうんじゃ、ねだるのと一緒だと感じてる。
だから仕事を出来ないことがすごくきつい感じがする。
仕事が出来ない=お金がない=自由がない
ということになってしまうから。

子供の頃の感情をそのままに私は生きていて、
でもそれが少し切り替わることがある。

それはいい料理の本なんかを読んでいる時。
ぱっと気持ちが「大人の私」に切り替わる。

今度から、感情が溢れてどうにもならないときは、
そういうことをちょっと思い出せるように、
枕元にも料理の本でも置いておこうか。


かなり考えながら喋る作業だから、
カウンセリングを終えるとかなり疲れるんだけど、
今日はその足で取材の手伝いに行って、
疲れていたから休もうかと思ったんだけど、
帰ってきてからメイルチェックとかして、
ちょっと一休みしながらクライアントの、
スパークリングワインのリストを作って、
あれこれしているうちに仕事を頼まれたりして、
調べ物をしていたらこんな時間です。
良く今日は頑張りました。

明日は今日カウンセラーさんと話したことを元に、
バッチのセラピストさんにメイルを書こう。

テーマ:PTSD - ジャンル:心と身体

【2005/12/07 02:07】 | カウンセリング | トラックバック(0) | コメント(3)
雨の夜も、晴れた朝も


日々のよしなしごと、そして闘病記録。

プロフィール

Author:磯村梨絵子
料理やお酒を生業とする、PTSD・依存症と闘うACサバイバー。現在鬱病を合併しているので、ゆっくりとしたペースで仕事や日常のことをこなしつつ病気と闘っています。
生来の凝り性のためかかなり多趣味。こいつが依存症に拍車を掛けていたり。現在は病院とカウンセリング、バッチフラワーレメディなどを取り入れて治療をしています。
依存の対象は心の病が大きな問題になるまでもいろいろと変遷しています。子供の頃からお小遣いをもらうとすぐに使い切ってしまうのは普通のことで、中学生の時には軽度の摂食障害なども経験しています。買い物依存は長年対象を変えてずっと続いている大きな問題のひとつです。
家族は相方とミニうさぎとオカメインコ。静かな環境に引っ越して、ガーデニングなどしながら、マイペースに自分と向き合っています。
日々のことや闘病のこと、いろいろと思うことなど書いていこうと思います。



ちょっと便利なサイト。
ネットショッピングする人には欠かせないポイントサイト。私も愛用しております(笑)。


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