新しいターゲット
今朝、大きな箱が届いた。

最後の、花の苗の箱。

ミニバラやらつる薔薇やらともかく薔薇が一杯。
昨日は酷い二日酔いでできなかったから、
今日ベランダのラックを組み立てて、買っておいたスリットポットに移そう。
土、足りるかな。

植物は、飽和状態なのでもう買えないし、
今はまだ自分の経済状態が良いわけではないので、
大好きなアクセサリーを買うには無理があって。

でも、見つけてしまった。
新しいターゲット。

タイニー・ベッツィーっていう8インチドール。
家には2体だけあって、その後買っていなかったんだけどね。
かわいいから欲しいと思っていたんだけど、
ちょうど買おうという購買意欲が出てきたときにモデルチェンジしちゃって、
その後手を出してなかったんだけど、
去年くらいからまた以前と同じような顔だちの子がでるようになったので、
欲しい気持ちがむくむくとわいてきて、
いま、ヤフオクのウォッチリストにはベッツィーとアウトフィットで一杯。

見つけたとき、私、笑ってた。
まるで、獲物を見つけたみたいに。

今うちにいるブライスも、何気に新作チェックはしているけど、
どうも欲しい子がでないので、買わずにいたし。

ベッツィーだったら今の仕事の原稿料で十分買える値段。

色々頑張れば買えちゃう値段。

酷くならないように気をつけないと。

バッチフラワーのセラピストさん、今月が臨月で、
来月はお休みだから、
レッドチェストナットだけは買って、切らさないようにしないと……。

今日は頑張ってベランダの花たちを整理しよう。
エアコンも使う時期になってきたから、室外機前の植物に気をつけないといけないし。

命あるものも、そうでない物も、買った物はせめて大切にしようと思う。
使わないと言うことがないようにしながら。

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【2008/06/09 06:41】 | 買い物依存症 | トラックバック(0) | コメント(0)
気付いてしまった……
本当は、ベランダの整理をしないと、
次の仕事に間に合わないのだけど、
どこかの誰かさんから風邪をいただいたらしく、
喉風邪を引いて、微熱が出た。

無理すると、これはまた喘息に繋がると思い、
仕方なく、植木鉢もフェンスもそのままに、
横になることにした。

横になってすることと言えばネットサーフィンか、
最近買った花の本を読むことくらい。

午後、眠くなってお昼寝。
気付けばもう夕方。

相方には風邪を引いたみたいだとメイルで連絡済みなので、
簡単な食べ物を買ってきてもらう。
鎮痛解熱剤を飲むと、喉の腫れや熱っぽさもいくらか楽になるけど、
かなり汗をかいたりしながら、ひたすらごろごろする。

相方が帰ってきてから、とあるショップにぴったりのボックスシーツがあるらしい話を聞き、
実店舗になかったのでネットショップで、ということで、
ネットショップのサイトを開く。
あいにくこちらも在庫なし。
ちょくちょくチェックして、入荷したら買わなくちゃ。
IKEAまで小物だけ買いに行くのも大変だし。

そのあと、ついでにのぞいてみようかなと、
某大手ショッピングサイトをのぞく。

そこには「お気に入り」というリストが作れるようになっていて、
気になっていた商品をチェックしておいて、
あとで購入したいときに買えるシステムになっている。
最近は、オークションにもちょっと飽きてしまって、
(たぶん着物をオークションであまり買わなくなったからだと思う)
ショップばかりで買い物をしている。
まあ、買い物の対象が今は植物に偏っているので、
そのせいでそちらばかりなのだろうけれど。

何だか判らないけれど、ふと思い立って、
もう置く場所がないかも知れないというのに、
クレマチスの鉢植えと、グランドカバー用のヒューケレラを買う。
えらくポイントがたまっていたので少し安く付いたけれど、
それでも結構な額の買い物をし、
買った物はお気に入りリストから削っていく。

それで、削っていくうち、お気に入りリストは、
相方が欲しがっていた道具や、今後必要なものがほとんどになり、
1ページに収まってしまった。
それは当然だよね。
ベランダの広さには限りがあって、
もう植物を置くスペースを作るのに必死なわけだから。
植物がお気に入りリストからなくなるのは当然のことで。

それでも欲しいなと思う物はあったりするのだけれどね。
薔薇の苗とか。特に流行のブラウン系の苗。
あと、薔薇の花は、名前がロマンティックだよね。
そんなものをお気に入りに入れてみたり。

そうして、ページが1ページしかなくなって、
それがほぼ実用品だけになってしまったとき、
強烈な恐怖感を覚えたのだ。

自分の心にぽっかりと開いた穴の存在だ。

それに気が付いたのは25歳くらいの時で、
最初のカウンセリングを受け終わる頃だった。

私は「母親が理想だと思う自分自身」を母の代わりに生きていて、
自分自身を生きていなかったことに気付いたとき、
心にぽっかりと大きな穴が開いて、
最初、どうして良いか判らなかった。

その後日常に流されるままに、
それでも、誰にも束縛されることなく、
誰に恐怖を感じることもなく生活をしていたけれど、
最終的にはまた母の手でそこに引き戻され、
私は病気になるわけだけれど。

買い物依存は、鬱病にかかった初期の頃がものすごく酷かったのを覚えている。
ともかく何かを毎日買わずにいられずに、
ずっとオークションなんかをして、着物なんかを買っていた。
しかも、何を買っているかなんてよく判らなくて、
安くて数があればなんでもよかった。

その後、新たにカウンセリングに通い始め、
鬱が寛解に近くなった頃、その着物達は、一部を残して処分した。
何かすっきりした気がしたのを覚えている。
同じようなものが何枚もあったりして、何をしていたんだろうと、
処分する様子を見ていて思ったりした。

けれども、また同じ事を繰り返して、
着物は元の数より増えてしまうわけだけれど。
今は、欲しいと思う物がかなり限定されてきたので、
無駄に買い物をすることがなくなった。
その代わり、欲しい着物や帯は高額なものへと当然のようにシフトしていく。

そして、依存対象も他の物へ。

引っ越しをするときは家具やインテリア雑貨だっただろうし、
今のように、ベランダを彩る季節の花たちや観葉植物。

その、依存対象がなくなるというか、
欲しい物がなくなることが強烈に恐くなったのだ。

本当に、心にぽっかり穴が開いた感じで、
不安で不安でたまらないのだ。

その時に思い出したのが、
小さい頃、山梨の実家に預けられていたときに、
唯一与えられたといってもいいおもちゃの、
小さな手鏡のことだった。

私が住んでいた家は何にもなくて、
道に面していたのだけれど、
表に出してもらうことはできなかった。
部屋でAMラジオがかかっていたのを覚えている。
そして、いつだったか、誰かにプレゼントされたその手鏡を受け取った。
家に鏡がなかったのか、鏡に自分の顔が写ることがとても面白くて、
1日中鏡を眺めていた。

その手鏡は、小学生の頃から何度も引っ越しをするたびに、
もうこれはいらないな、と思ってゴミ袋に入れるのだけれど、
何故なのか判らないけど、引っ越して荷物を開けると、
必ずその手鏡は荷物の中に入っているのだ。
なんでついてくるんだろうと思ってた。
でもついてきてたんじゃないんだね。
私が小さな頃の大切な宝物を、
荷物を整理している間に、ちょっとした解離を起こして、
小さな私が荷物の中にしまっていたんだろうと思う。

毎回おかしいな、と思いながら、化粧品の引き出しなんかにしまう。
もちろん、普段遣う訳じゃない。
大人になってからそれに気付いて、
まるで観念したかのように、荷物に入れて持ってくることにしている。

おそらく、親の愛で満たされることもなく育ち、
物だけをともかく与えられてきた私は、
欲しい物がもらえる=親が私をほめてくれている、
と、心のどこかで感じていたのかもしれない。
実際、テストで100点とったらあれを買ってあげるね、
なんていわれることはよくあることだったし。
でも、私は満たされなかった。
所詮物は物でしかなく、愛情とは違うし、
「やったねー、よく頑張ったね」とか言って、
抱きしめられて頭を撫でてもらうとかそういうことは一切なかったし、
100点のテストですら、おそるおそる出していた記憶がある。

かといって、相方の愛情が欠落しているかと言うことではなく。

相方はまた別で、やっぱり私は母親の愛情が未だに欲しいのだ。

それを埋め合わせるためにひたすら買い物をし続ける。
そして、自分は買い物ばかりして最悪だと思ったりする。

母親はこの間の忘備録の中で、
私を手放したのは事実だと悔いていたけれど、
それを悔いていようと、謝られようと、
失ってしまった時間は取り戻せないのだ。
その間に虐待を受けた事実も、私の中から消えることはない。

実を言うと、私には日常の生活の中でできないことがある。

例えば、ペットのトイレの掃除。
ごはんや水はあげられるし、遊んであげることはできても、
トイレの掃除だけがどうしてもできない。
これは、帰ってきてすぐの頃、
デパートなどでトイレに入ろうとすると、
トイレが近づいた時点で吐いてしまったりしたのと通じているんじゃないかと、
私自身は解釈している。

それから掃除。
ともかく掃除が苦手で、
埃を払ったり、掃除機をかけたり、部屋を綺麗に保つのがものすごく苦手だ。
これも、小さな頃の、記憶が欠落している頃の自分に起きていた、
何かがそうさせるのかも知れないとうすうす前から思っていた。

手洗いで下着を洗うこともできない。
これは理由が分かっていて、
父方に引き取られていた頃、
自分の靴下や下着を自分で洗っていたと母方の祖母が話していたので、
それを思い出してしまうのだろう。
小学校の6年生くらいの頃、
母親から自分の下着は手洗いするように言われたとき、
強烈な嫌悪感を感じて、1ヶ月続かなかったのを覚えている。
もちろん、酷い嫌味も言われたりしたけれど。

そうした日常の行動に、
自分の過去が影を落としていて、
そのあとに母に引き取られてからも、
私は私自身を生きていなかったから、
どうして良いのかたぶん判らないんだと思う。

3歳から25歳まで、その人に嫌われまいと、
棄てられまいとして、ともかく好かれようとして、
何でも言うことは聞き、言いなりになって生きてきた。
思春期を過ぎてある程度は自己主張をするようになっても、
基本的な部分は全く変わらなかった。

まるで、オズの魔法使いのスケアクロウのように、
ひとに優しくすることはできても、
自分は機械で、ハートがないみたいな。
そんな感覚。

そして今日も私は何かを買おうと探し続けるのかも知れない。
それが何になるのかは判らない。

子どもの頃の心の傷がこんなにも大きな影響を及ぼすことを、
判る大人がどれだけいるだろうか。

少なくとも私が子どもの時は、いなかった。
きっとそういうことなんだと思う。
子どもを精神科に連れて行くなんて発想もなかっただろう。
もし、今のように子どもでも精神科で見かけるような社会だったとしたら、
私はこんな風にならずに済んだかも知れない。

あー、こんな後ろ向きなことを考えていても仕方ないね。

少し喘息の、胸の音がするから、吸入をして眠ろう。

いつまでも、自分の心が収まるはずの穴を埋める物を捜すのは止めて。

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【2008/04/27 05:10】 | 買い物依存症 | トラックバック(0) | コメント(1)
ラブラドライト
何だか判らないけど、
ヴァレンタインの時に相方に、
パワーストーンのブレスレットをあげたのがきっかけになって、
ちょっとパワーストーンづいています。

そのストーンショップというか、ビーズショップはちょっと本格的で、
石の種類に応じて、どういう能力を引き出して、どう働いてもらうか、
オイルプログラミングという、ちょっと霊的なオイルを使用したお清めみたいなのをしてくれる。

相方のはアベンチュリンとタイガーアイ、水晶の組み合わせ。

自分のを作ろうとしたら高く付きそうだったのでその時は止めました(笑)


でもちょうどそのころから、
ある指輪をしていないと落ち着かなくなった。
この話は書いたっけ。
シルバーのラブラドライトのリング。

ラブラドライトには自分の中の黒い感情を吸い取ってくれる効果があるんだとか。
例えば希死念慮とか、そういうのもそうなのかも知れないし、
恨みや怒りといった感情を吸い取ってくれるらしい。

それで、たまたま最近凝っていた、
ルースのオークションで(今地金が高いからいつ加工できるか判らないけど(笑))
ラブラドライトのブレスレットを発見。
思いの外安い値段で落札でき、自分の手元に届いて。
粒の大きさこそまちまちなんだけど、
大きめの丸玉の、ラブラドライトオンリーの、
時々、綺麗なシラーを見せてくれるそれを嵌めてから、
今のところ、買い物依存が収まってます。
気のせいかも知れないんだけど(笑)
仕事で必要な物は買える範囲で買いたいと思うし。

そのあと、人のプレゼントを作るために取り寄せた石で、
色々ミックスみたいな感じの細めのブレスを作った。
オイルは、精神的な力を高めてくれるオイルを使って。

本当に気のせいなのかも知れないけど、
精神的に少し、安定している気がします。
疲れてはいると思うんだけど、
例えば、休養入院したいなとか思ったりもするんだけど、
前みたいな強烈な希死念慮が出なくなったり。

しばらくして、お金が貯まったら、
ラリマーとブルーレースアゲートの大きなルースがあるので、
それをペンダントにしたいなあ。お守り代わりに。

とりあえず、なんでも利用しちゃいたいと思うのだ。
早いところ、鬱も脱却したいし。

それより、今日気付いてしまった風邪を治さなければ。
明日はパーティーだし。

もう寝ようっと。

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【2008/03/17 00:40】 | 買い物依存症 | トラックバック(0) | コメント(0)
買い物依存の根元
昨日他のお友達とのやりとりの中で、
私が伝えた一言で、今まで気が付いていなかったことを、
彼女は気が付いたらしく。

虐待されて育つ子どもがよりどころにする物。
それはなんだろうと時々思う。

それは人によって違う。

友達の人もいる。
宗教の人もいる。
今はもっと違う物の人もいるだろう。

私の場合はどうだったんだろうって、
しばらく考えた。

私は幼少時に祖母に虐待を受け、
すっかり萎縮した状態でヒステリックな母親の元に戻され、
毎日のように怒鳴られながら育った一方で、
幼少時からいじめを受け続けてきたせいなのか、
友達を作ることが上手くできなかった。
幼稚園から小学校の時は、いつも家でぼんやりしているうちに時間が過ぎ、
お弁当の蓋を開けると吐いてしまったり、
毎晩のようにひきつけを起こしたり、
離人感がかなり強く、自分自身を別の角度から、別人のように見ていることが多かった。
つまりは、PTSDの強い身体症状や、他の症状が出ていたときで。

そのころから大人になるまで、
まるですり込まれたかのように、私ができなかったことがある。

それは「物をねだる」ということ。

小さな子どもなら、スーパーに一緒に行けばお菓子の一つも欲しがるだろう。
私は、一緒に行って、お菓子売り場にいて、お菓子を見ていたとき、
母親に「欲しいの?」と訊かれたことがある。
その時の母は機嫌が良かったのか優しくそう言った。

でも私は、本当は欲しいそのお菓子を、いらない、と言った。

当時の私にとって、物を買ってもらうことは「悪」だったのだ。

ねだるなんてもってのほかだった。
だから、大人になっても、
付きあっている彼に物をねだることは本当になかった。
ものすごく物をねだることは、勇気がいるのだ。
買ってもらうことは悪いことだから。

小学校の中学年くらいから、
「お小遣い」というシステムを取り入れることになった。

1ヶ月にいくら、という額をもらって、
それを好きな物に使う。

お小遣いをもらうことは嬉しいことだったし、
何より自分にとって「自分で買うことは悪ではない」わけだから。
決められている物をもうらうのと、そうでないものを懇願してもらうのとは訳が違う。

私にとって、悪でない物。
それが決まってもらえるお小遣いだった。

日頃のストレスで参っている私は、
お小遣いをもらうとすぐにお金を使った。
3日もすれば、お小遣いは消えてなくなっている。

その点弟は堅実で、
ちゃんと月末まで計画立てて使っていくのだ。

今思うと、私の買い物依存は、そのころから始まっていたんだなと、
今日になってふと気付いた。
買い物に依存するのではなく、
悪くないお金を使うことに依存しているのだ。

学生時代にアルバイトをしていたころも、
派遣社員だったころも、ずーっと同じ。
自分が自由にしていいお金はあっという間になくなった。

消費すると言うことに依存し、
その度に後悔をする。
でもそれを何度も繰り返す。
何度も、何度も。

唯一かなり上手に使えたお金は「家計費」だったかも知れない。
月末、これだとちょっと足りない、という程度で。
これはたぶん、「人のお金でもある」ということが関係しているのだと思う。
自分ひとりのお金だったら、状況が違っていたと思う。

拠り所がそれしかなかったから、今も同じ状況が続いている。
対象を変えて、それは続く。

ただ満たされないというだけではなく、
ただストレスに晒されていると言うだけではなく、
まだ私に見えてこない、絡まった糸のほどけた先に、
その答えはある。たぶんあるのだと思う。
真実を知ったとき、
空いたポケットの穴がふさがれたとき、
私はそこから解き放たれる。

けれども恐い。
知ることで、何が起きるか判らないのが恐い。
思い出せないことを人から伝えられても、
人のこととしか思えず、自分の経験だと思えないだろうし、
最初は自分と重ならず、思い出したりできないと思うけど、
人の言うことと、自分の消し去られた記憶が重なるとき、
私はようやくひとりの人間として、「ひとつ」になれるのかもしれない。
その時まで、きっと依存症は続くのかも知れない。
形を、まるで粘土のように、様々に変えながら。

それが恐いから、まだ父親の本籍を取り寄せられないのかな。

明日こそ勇気を出して。
書類を書いて、印鑑を押して、必要な書類を入れて、ポストに入れれば終わりだ。
なんのことはない。

逃げちゃいけない。
立ち向かって行かなくては。

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【2008/03/08 18:34】 | 買い物依存症 | トラックバック(0) | コメント(0)
スイッチ
私の買い物依存の形は、
まるで洗面所あたりについている、
たくさんの電気のスイッチみたいだ。

ふとしたことがきっかけでスイッチが入る。
その対象が着物だったり、
人形だったり、
植物だったり、
今は仕事で使う骨董の食器類だったり。
何かのきっかけでぱちんと入ったら、
それこそ電球が付いたままになったかのように、
取り憑かれたように買い続ける。

自分でできる範囲で、という線を相方は引いているけれど、
きちんとした収入がない今、私にはお金がないのに、
仕事に使う骨董の食器を買い続けてしまう。
単行本にしてもらえるから大切にしたいという、理由をつけて。

買えるから大丈夫と、自分でお金を払って買う分には良い。
だけれど、それを出してもらっているのに危機感がないというのは、
買い物依存が悪化していることを意味する。

何が原因かは分からない。
PTSDについて回るこの依存症は、
一向にこの5年、止まる気配がない。
その強弱こそあるものの、相方が文句を言うのも当然だと思う。

「あなたは大先生じゃないんだから」

たしかにまだひよっこのぺーぺーかも知れないけれど、
今、経費のでない連載をしている分、
赤字になっても自分の表現したいことがしたいのだ。

自分の欲求を埋めるために。
そして、完璧を求めるために。

でもタイミングが悪すぎる。

怒られながらも食器を探し続ける自分に、
「もっと工夫しろ」といわれる。

でもメインになる部分はどうしても、どうしても譲れないのだ。

やれることは全部やりたいと思ってしまう。


スイッチが切れることはない。
どこかが切れても、
スイッチが付いていないことはない。

いつスイッチが切れる日が来るんだろう。
病気が治らない限り、スイッチが切れることはないのだろうか。
...続きを読む

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【2008/02/27 02:26】 | 買い物依存症 | トラックバック(0) | コメント(1)
雨の夜も、晴れた朝も


日々のよしなしごと、そして闘病記録。

プロフィール

Author:磯村梨絵子
料理やお酒を生業とする、PTSD・依存症と闘うACサバイバー。現在鬱病を合併しているので、ゆっくりとしたペースで仕事や日常のことをこなしつつ病気と闘っています。
生来の凝り性のためかかなり多趣味。こいつが依存症に拍車を掛けていたり。現在は病院とカウンセリング、バッチフラワーレメディなどを取り入れて治療をしています。
依存の対象は心の病が大きな問題になるまでもいろいろと変遷しています。子供の頃からお小遣いをもらうとすぐに使い切ってしまうのは普通のことで、中学生の時には軽度の摂食障害なども経験しています。買い物依存は長年対象を変えてずっと続いている大きな問題のひとつです。
家族は相方とミニうさぎとオカメインコ。静かな環境に引っ越して、ガーデニングなどしながら、マイペースに自分と向き合っています。
日々のことや闘病のこと、いろいろと思うことなど書いていこうと思います。



ちょっと便利なサイト。
ネットショッピングする人には欠かせないポイントサイト。私も愛用しております(笑)。


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