本当は、ベランダの整理をしないと、
次の仕事に間に合わないのだけど、 どこかの誰かさんから風邪をいただいたらしく、 喉風邪を引いて、微熱が出た。 無理すると、これはまた喘息に繋がると思い、 仕方なく、植木鉢もフェンスもそのままに、 横になることにした。 横になってすることと言えばネットサーフィンか、 最近買った花の本を読むことくらい。 午後、眠くなってお昼寝。 気付けばもう夕方。 相方には風邪を引いたみたいだとメイルで連絡済みなので、 簡単な食べ物を買ってきてもらう。 鎮痛解熱剤を飲むと、喉の腫れや熱っぽさもいくらか楽になるけど、 かなり汗をかいたりしながら、ひたすらごろごろする。 相方が帰ってきてから、とあるショップにぴったりのボックスシーツがあるらしい話を聞き、 実店舗になかったのでネットショップで、ということで、 ネットショップのサイトを開く。 あいにくこちらも在庫なし。 ちょくちょくチェックして、入荷したら買わなくちゃ。 IKEAまで小物だけ買いに行くのも大変だし。 そのあと、ついでにのぞいてみようかなと、 某大手ショッピングサイトをのぞく。 そこには「お気に入り」というリストが作れるようになっていて、 気になっていた商品をチェックしておいて、 あとで購入したいときに買えるシステムになっている。 最近は、オークションにもちょっと飽きてしまって、 (たぶん着物をオークションであまり買わなくなったからだと思う) ショップばかりで買い物をしている。 まあ、買い物の対象が今は植物に偏っているので、 そのせいでそちらばかりなのだろうけれど。 何だか判らないけれど、ふと思い立って、 もう置く場所がないかも知れないというのに、 クレマチスの鉢植えと、グランドカバー用のヒューケレラを買う。 えらくポイントがたまっていたので少し安く付いたけれど、 それでも結構な額の買い物をし、 買った物はお気に入りリストから削っていく。 それで、削っていくうち、お気に入りリストは、 相方が欲しがっていた道具や、今後必要なものがほとんどになり、 1ページに収まってしまった。 それは当然だよね。 ベランダの広さには限りがあって、 もう植物を置くスペースを作るのに必死なわけだから。 植物がお気に入りリストからなくなるのは当然のことで。 それでも欲しいなと思う物はあったりするのだけれどね。 薔薇の苗とか。特に流行のブラウン系の苗。 あと、薔薇の花は、名前がロマンティックだよね。 そんなものをお気に入りに入れてみたり。 そうして、ページが1ページしかなくなって、 それがほぼ実用品だけになってしまったとき、 強烈な恐怖感を覚えたのだ。 自分の心にぽっかりと開いた穴の存在だ。 それに気が付いたのは25歳くらいの時で、 最初のカウンセリングを受け終わる頃だった。 私は「母親が理想だと思う自分自身」を母の代わりに生きていて、 自分自身を生きていなかったことに気付いたとき、 心にぽっかりと大きな穴が開いて、 最初、どうして良いか判らなかった。 その後日常に流されるままに、 それでも、誰にも束縛されることなく、 誰に恐怖を感じることもなく生活をしていたけれど、 最終的にはまた母の手でそこに引き戻され、 私は病気になるわけだけれど。 買い物依存は、鬱病にかかった初期の頃がものすごく酷かったのを覚えている。 ともかく何かを毎日買わずにいられずに、 ずっとオークションなんかをして、着物なんかを買っていた。 しかも、何を買っているかなんてよく判らなくて、 安くて数があればなんでもよかった。 その後、新たにカウンセリングに通い始め、 鬱が寛解に近くなった頃、その着物達は、一部を残して処分した。 何かすっきりした気がしたのを覚えている。 同じようなものが何枚もあったりして、何をしていたんだろうと、 処分する様子を見ていて思ったりした。 けれども、また同じ事を繰り返して、 着物は元の数より増えてしまうわけだけれど。 今は、欲しいと思う物がかなり限定されてきたので、 無駄に買い物をすることがなくなった。 その代わり、欲しい着物や帯は高額なものへと当然のようにシフトしていく。 そして、依存対象も他の物へ。 引っ越しをするときは家具やインテリア雑貨だっただろうし、 今のように、ベランダを彩る季節の花たちや観葉植物。 その、依存対象がなくなるというか、 欲しい物がなくなることが強烈に恐くなったのだ。 本当に、心にぽっかり穴が開いた感じで、 不安で不安でたまらないのだ。 その時に思い出したのが、 小さい頃、山梨の実家に預けられていたときに、 唯一与えられたといってもいいおもちゃの、 小さな手鏡のことだった。 私が住んでいた家は何にもなくて、 道に面していたのだけれど、 表に出してもらうことはできなかった。 部屋でAMラジオがかかっていたのを覚えている。 そして、いつだったか、誰かにプレゼントされたその手鏡を受け取った。 家に鏡がなかったのか、鏡に自分の顔が写ることがとても面白くて、 1日中鏡を眺めていた。 その手鏡は、小学生の頃から何度も引っ越しをするたびに、 もうこれはいらないな、と思ってゴミ袋に入れるのだけれど、 何故なのか判らないけど、引っ越して荷物を開けると、 必ずその手鏡は荷物の中に入っているのだ。 なんでついてくるんだろうと思ってた。 でもついてきてたんじゃないんだね。 私が小さな頃の大切な宝物を、 荷物を整理している間に、ちょっとした解離を起こして、 小さな私が荷物の中にしまっていたんだろうと思う。 毎回おかしいな、と思いながら、化粧品の引き出しなんかにしまう。 もちろん、普段遣う訳じゃない。 大人になってからそれに気付いて、 まるで観念したかのように、荷物に入れて持ってくることにしている。 おそらく、親の愛で満たされることもなく育ち、 物だけをともかく与えられてきた私は、 欲しい物がもらえる=親が私をほめてくれている、 と、心のどこかで感じていたのかもしれない。 実際、テストで100点とったらあれを買ってあげるね、 なんていわれることはよくあることだったし。 でも、私は満たされなかった。 所詮物は物でしかなく、愛情とは違うし、 「やったねー、よく頑張ったね」とか言って、 抱きしめられて頭を撫でてもらうとかそういうことは一切なかったし、 100点のテストですら、おそるおそる出していた記憶がある。 かといって、相方の愛情が欠落しているかと言うことではなく。 相方はまた別で、やっぱり私は母親の愛情が未だに欲しいのだ。 それを埋め合わせるためにひたすら買い物をし続ける。 そして、自分は買い物ばかりして最悪だと思ったりする。 母親はこの間の忘備録の中で、 私を手放したのは事実だと悔いていたけれど、 それを悔いていようと、謝られようと、 失ってしまった時間は取り戻せないのだ。 その間に虐待を受けた事実も、私の中から消えることはない。 実を言うと、私には日常の生活の中でできないことがある。 例えば、ペットのトイレの掃除。 ごはんや水はあげられるし、遊んであげることはできても、 トイレの掃除だけがどうしてもできない。 これは、帰ってきてすぐの頃、 デパートなどでトイレに入ろうとすると、 トイレが近づいた時点で吐いてしまったりしたのと通じているんじゃないかと、 私自身は解釈している。 それから掃除。 ともかく掃除が苦手で、 埃を払ったり、掃除機をかけたり、部屋を綺麗に保つのがものすごく苦手だ。 これも、小さな頃の、記憶が欠落している頃の自分に起きていた、 何かがそうさせるのかも知れないとうすうす前から思っていた。 手洗いで下着を洗うこともできない。 これは理由が分かっていて、 父方に引き取られていた頃、 自分の靴下や下着を自分で洗っていたと母方の祖母が話していたので、 それを思い出してしまうのだろう。 小学校の6年生くらいの頃、 母親から自分の下着は手洗いするように言われたとき、 強烈な嫌悪感を感じて、1ヶ月続かなかったのを覚えている。 もちろん、酷い嫌味も言われたりしたけれど。 そうした日常の行動に、 自分の過去が影を落としていて、 そのあとに母に引き取られてからも、 私は私自身を生きていなかったから、 どうして良いのかたぶん判らないんだと思う。 3歳から25歳まで、その人に嫌われまいと、 棄てられまいとして、ともかく好かれようとして、 何でも言うことは聞き、言いなりになって生きてきた。 思春期を過ぎてある程度は自己主張をするようになっても、 基本的な部分は全く変わらなかった。 まるで、オズの魔法使いのスケアクロウのように、 ひとに優しくすることはできても、 自分は機械で、ハートがないみたいな。 そんな感覚。 そして今日も私は何かを買おうと探し続けるのかも知れない。 それが何になるのかは判らない。 子どもの頃の心の傷がこんなにも大きな影響を及ぼすことを、 判る大人がどれだけいるだろうか。 少なくとも私が子どもの時は、いなかった。 きっとそういうことなんだと思う。 子どもを精神科に連れて行くなんて発想もなかっただろう。 もし、今のように子どもでも精神科で見かけるような社会だったとしたら、 私はこんな風にならずに済んだかも知れない。 あー、こんな後ろ向きなことを考えていても仕方ないね。 少し喘息の、胸の音がするから、吸入をして眠ろう。 いつまでも、自分の心が収まるはずの穴を埋める物を捜すのは止めて。 テーマ:心的外傷後ストレス症候群(PTSD、C-PTSD) - ジャンル:心と身体 ![]() |
このところいつもそうだ。
夜中の3時くらいに必ず中途覚醒する。 これはあまりいいことじゃない。 今日なんて、アルコールも入っていて、 薬はしっかり飲んだけど、 うっかりして、メジャーの薬を飲みそびれただけの話。 夢の中には学生時代の友達がたくさん出てきた。 何だか不思議な夢だった。 でも、メジャーを飲み始めて、減らした体重はまるっきり元通りに近いくらいまで増えた。 ちょうど生理の周期が当たったのも大きいけれど、 結婚指輪が入らないってどうよ。 だけど主治医の考え方としては、 メジャーを半分の量に減らして、 いい位置でソフトランディングさせるのが目的。 それは私も異論はないけど、 何でこの薬、こんなに太るんだろうってくらい太る。 でも、先生が「様子みて切って良いよ」といっていた、 1週間まであと3日くらいなんだよね。 我慢我慢。 もう少ししたら運動だってできるし、 そうしたら少しずつ痩せてくるよ。 体重が増えるのがともかく恐くて、 メジャーを断固として断ってきたけど、 太ることと病気が治ることを天秤にかけたら、 病気が治ることの方がずっといい。 でも太ったりするのはすごくいや。 拒食症になるかと思いきや、 メジャーの薬は食欲も増進してしまうので、 どうなってるんだろうと思うくらい体が食べ物を要求する。 薬切ったらまたビリー再開しなくちゃ。 それにしても、急にこれだけ体重が増えると体が重い。 重くても頑張って動かなきゃ。 だけどこの間のことは確実に精神的な疲れになっている模様で、 今週、やるべき事がほとんどできなかった。 逃避するようにベランダに出てた。 それじゃいけないのに。 これから、来週からは頑張らなくちゃ。 きっと頑張れる。 体重だってちゃんと取り戻せる。 できることからしていくしかない。 今はそうするしか方法がないのだもの。 テーマ:病気と付き合いながらの生活 - ジャンル:心と身体 ![]() |
今日、伯母さんにどうしても聞きたいことがあって会いに行った。
伯母さんは、駅前の花壇の所に腰掛け、待っていてくれた。 しばらく会わない間に、髪が真っ白になっていた。 この間電話したときに、私髪真っ白よって言ってたけど、本当にそうだった。 駅前は再開発でずいぶん様変わりしていて、 私が住んでいた頃とは全く違った街のようにすら見えた。 その街に変わらずある喫茶店に入り、 二人でコーラなんか飲みながら話をする。 「お母さんから預かってきている物があるのよ。 なんか30代の時に作った着物なんだけど、派手だからって」 そりゃそうだよね、60なんだし(笑)。 でもそれも含め、何だか一杯入った荷物を渡された。 いろいろと気になっていることをまず訊いた。 大伯母さんの介護のこと、親戚のこと、知人のこと…… いろんな事が起きるんだなあとしみじみ思った。 そして、伯母さんの方から、 訊きたいことってなに、と切り出してきた。 私は持っていた戸籍謄本を取り出して、 なんか弟がお腹にいる間に籍を抜いてるっぽいんだよね、 という話をすると、そうではないことが判明。 これはちょっと一安心。 2番目の父のことは訊くの忘れちゃった。 まあいいんだけど。 そして妹のこと。 妹の父親である3番目の父が、 籍を入れないと実子扱いにならないのかなんなのか、 籍を入れて3日ほどで除籍している。 戸籍のことは詳しくは判らないけど、どうなんだろうね。 新しい奥さんと籍を入れても、長女として戸籍に表記されるのかな? でも、改正原戸籍をとると、うちの母の名前が出てくるわけだよね…… とる機会がないといいけれど…… そして伯母さんが渡した荷物の中に、 母が書いた手紙が入っているから、と言われた。 駅前で、来月の約束と段取りを話して、 笑顔で別れることができた。 昔は恐くて、見られなかった母の筆跡。 母の筆跡だと思うだけでとても恐かった。 触れることすらできなかった。 でも今回はすぐに読みたいと思った。 伯母に渡されたバッグの中を探っていく。 いろいろと探してみたら、 白い伊東屋の和紙の封筒が入っていた。 最初に、忘備録、と書かれ、 半紙のような、でも便せんサイズの和紙に、 サインペンで書かれた文字。 そこには私の、知らなかった真実があった。 母は、21歳で結婚して、しばらく父の一番上の兄が営む、 ブロック建築の仕事を手伝っていたらしい。 働いていた話なんて、聞いたことがなかった。 そのお兄さんは早くに亡くなったらしく、 義理のお姉さんとその会社を切り盛りしていた矢先、 使用人二人を乗せた車で父は事故を起こし、 幸い大きな事故にはならなかったものの、 先方が悪かったにもかかわらず、事故処理ができずに、 父の同僚が全て処理をしてくれたそうだ。 このあたりのことは少し聞いている。 事故を起こしたのに、救急車を呼ぶ前に自分に電話をかけてきて、 どうしようと言われてさーっと冷めてしまった、みたいに。 お兄さんが亡くなったのは、弟が生まれた直後だったらしく、 弟を預けて出席したのに身の置き場すらないような状況だったようだ。 というのも、亡くなったお兄さんは、 母の親友で、不倫の末、一緒にいたホテルで亡くなったからだったそうだ。 その親友は、お兄さんの会社の事務所で働いていて、 そこから不倫関係になり、心中しようとしたのだろう。 入社の紹介をしたのは父だったらしいのだけど、 自分の親友であったために、 父方の祖母や義理のお姉さんにも恨まれ、 まだ出産後まもない体で駆けつけても部屋にすら入れてもらえず、 父もまたかばってはくれず…… そうしてこの人のことは信頼ができない、と、 様々な事の積み重ねから思うようになった頃、 高校生の頃に知り合っていた2番目の父と再会し、 2番目の父は母より7歳年上と言うこともあり、 大人の頼れる男性である父に惹かれていき、 最終的には離婚に至ったのだそうだ。 私が訊いたことのない、事細かな話。 単純に冷めてしまったとか、そういうことではなかったんだね。 でもその忘備録はこう続いている。 「それでも現在思うと、後からつけた理由かも知れません」と。 私を手放さなければ、離婚はできなかったらしく、 私と引き替えに、母は2番目の父と結ばれることを選んだ。 これを読んで、おばあちゃんが、 「だから反対したのよ」と2番目の父と離婚したときに言っていた意味が分かった気がした。 そうして、私は父に引き取られ、 最初は、父が育てるという約束だったにもかかわらず、 父ひとりでは育てることができなかったので、 父は実家に連れて行ってしまった(伯母さん談)そうで、 そんなことをされてはたまらないと、 うちの母方の祖母は、弟を連れて京都まで逃げ、 その後伯母の友人宅に身を寄せていたけれど、 結局それにも限界があり、 女として生きたかった当時の母は、 弟を友達の家をたらい回しにしてしまったのだ。 そう、愛する人と、ふたりでいるために。 母としてではなく、女として生きるために。 判らなくはないし、結婚したからといって女を棄てろとも思わないけれど。 私を引き取ることになったきっかけは意外なことだった。 実父の義姉がやってきて、 山梨で私を見たとき、 山梨の祖母は、母の娘である私を、母を恨むように接していて、 見るに見かねるから早く引き取った方が良いと知らせてくれたのだ。 そのあとまもなく、実父はよほどお金に困っていたのか、 大伯母にお金の無心にやってきたのだそうだ。 既に離婚して、縁も切れていて、まして母でも祖母でもなく、大伯母に。 その時、大伯母は、 「お金は返さないで良いから、あの子を引き渡してちょうだい」と、条件を出したのだ。 そのあとは、母と私が再会したときのことが書いてある。 私、母のことは、「お母さん」ってずっと呼んでいたけれど、 昔はママって呼んでいたんだね。 だから、「ママ」って呼んでみたいって言ったとき、 凄く嫌そうな顔をしたんだね。 実父のことを思い出すから。 その後、実父は再婚するのだけど、 母が親権の手続きをしていなかったらしく、 保険金や遺産が行かないように手続きをしてくれと言われたことに、 母は「私は他人でも実の子なのに」と酷くショックを受けたらしい。 でも、父にしてみれば、のちのちもめ事になっても困るから、 というのもあったのだと思う。……というか思いたい。 だって、父の姉さんがわざわざ足を運んで、 あまりに酷くて見るに堪えないから、といったことを、 父は何度か見ていることになるんだよね。 父はその時どう思ったんだろう。 どうでも良いと思ったんだろうか。 でも、綺麗な想い出だけ、父のことは残っていればいい、と、 今回、母のこの忘備録を読んで思った。 そして、父ではなく、父のお姉さんに会って話が聞きたいと思った。 事実を知っているのはその人だけだからだ。 事実を知って、それを受け止めることで、前に進んでいきたい。 淡々とした気持ちで、私はそう思った。 そうしたら、時間はかかるかも知れないけれど、 また母に近づき、向き合えるかも知れない。 そう思ったのです。 でも、一番大きかったのは、大伯母のことでした。 大伯母がいなければ、今の私はいなかったはずなのだ。 そしてその大伯母が今、認知症で口もきけない状態になっている。 私が返す番なんだ。 そう思いました。 私のことを覚えていなくても良いし、 私のことが判らなくても良いから、 大伯母にお返しをしたい。 面倒を見たいと思いました。 贅沢なホームに入れてあげることはできないけれど、 でも多少のことはできるかもしれない。 清潔な服を着てリハビリを受け、 少しでも元気になってくれて、 亡くなる前に笑顔をまた取り戻してくれたら……。 母からもらった物も、大切に使おうと思う。 着物は仕立て替えて、大事に使おう。付下げだったから。 ワインの栓を抜くやつみたいのは人にあげると思うけど(笑) 荷物の中に果物にかけるネットみたいなものにくるまれた、 ガラスのフォトフレームがあって、 なんだろうと思ったら、 一番気に入っていた、私が小さい頃の写真の入ったフォトフレームでした。 母は、もう死ぬまで、 私と会えないだろうと、覚悟を決めて、 これを入れたんだな、と思いました。 そうならないように、 お互いを認め会えるように、 私は努力するよ。 そのかわり、お母さんも、努力して欲しい。 私のことを手放したことを悔いなくてもいい。 だけれど、もう私を否定したり、皮肉ったり、からかったりしないで欲しい。 女同士としてつきあえるかと思ったけど、それも叶わなかったから、 せめて、そんな風に、友達みたいにつきあえるようになるように、 私も治療、頑張るから、 お母さんも、自分と向き合って欲しい。 今までしてきたこと、色々振り返ってみて欲しい。 でも、きっとそれも叶わないんだろうね。 もうのんびりとした老後を送りたいと、最後に綴られていたから。 お母さん、 産んでくれてありがとう。 私は今、たくさんの人たちに囲まれて、 理解のある旦那さんがいて、 とてもしあわせです。 生まれてこなければ、それはできなかったこと。 それは叶わなかったこと。 病気になったことは辛いことだけど、 私はこれからも前向きに、 まっすぐに対峙し、向かっていくよ。 また会う日まで。 テーマ:心的外傷後ストレス症候群(PTSD、C-PTSD) - ジャンル:心と身体 ![]() |
昨日、伯母に連絡をした。
気になっていた大伯母さんの話や、 弟から連絡があったことを話す。 今の介護制度って酷いね。 国民年金が出ているばかりに、医療費が高くなり、 満足のいく介護が受けられない。 特養老人ホームは3年先まで一杯で、 ただ、死人のようにベッドに寝かされているだけで、 医療行為は全く行われないという事実。 伯母さんは 「国なんてあてにせずに、年金なんて下手に払わない方が良い。 お金のない人は福祉だけでやっていった方が絶対しあわせだ。」 と嘆いた。 私たちも何もしてあげられないけど、 伯母さんが 「実の親じゃなく、たまたま近い親戚と言うだけだし、 家で介護なんて私たちも体が悪いからできないし。」 というのがひっかかった。 確かに二人とも乳ガンをやって、体は悪いかも知れない。 でも、単純に感情的な部分でやっかいだと思っているような気がして。 二人とも大伯母さんのことを好いてはいなかったし……。 寝間着以外の私服やタオルを準備するお金くらい、 私が出してあげるから、 洗濯代ぐらい何とかするからちゃんとした施設に移して欲しいと思った。 リハビリしなかったら、このまま生きる意欲を無くして、 話すこともできなくなったまま弱っていくしかないなんて。 伯母達も生活保護で暮らしているから仕方ないかも知れないけれど、 それすらままならないなんて悲しすぎると思う。 叔母さんに電話をしたのは、他にも理由があった。 この間、母の改正原戸籍をとって、 いろいろな事実が分かったわけだけれど、 自分にとって、周りに説明されてきたことと、 かみ合わないというか、辻褄の合わないことがあるので、 私たち子どもを傷つけないために、 誰かが口をつぐんでいるのだろうと私は思っていて。 それで、身近にそれを見ていた伯母さんに会って話が聞きたいと思ったのだ。 父と母の結婚生活と、 何故弟がいる間に籍を抜くようなことになったのかと言うことや、 私が父の所に行かなければいけなかったかの経緯を。 弟が母の友人の間をたらい回しにされたのは何故なのかを。 傷つくかも知れないのは百も承知の上だ。 周りからは言われる。 無理に思い出す必要はないし、止めた方が良い、 前だけを見ていればいいと。 だけれど、何故病気になるような、こんな状況が生まれたのかを、 私は凄く知りたいのだ。 なんでこんなことになったのかと。 きちんと事実を知ってから、 父の消息を調べて知りたいと思ったのだ。 来週伯母に会う約束をした。 そっちまで行くから、待ち合わせてどこに行って話すか考えようと。 私は、過去の事実に負けたりしない。 だって、こうして生きているのだから。 大伯母さんのことも、弟と相談しようと思う。 いずれ伯母さんと親のことも、問題が出てくるのだし。 私は負けない。 必ず本当のことを、記憶として思い出すことはできなくても、 知って頭の中に入れておくだけですっきりすると思うから。 その上でいろんな事を改めて考えたいのだ。 私は前に向かうために過去と闘っていくのだ。 テーマ:心的外傷後ストレス症候群(PTSD、C-PTSD) - ジャンル:心と身体 ![]() |
やっぱりね、メジャーの薬って確実に太るね。
指輪外すのとかで実感してしまうくらいだから、 結構なペースで太ってるんだと思う。 ちなみに夜のお薬。 この日は酔っていたのか、 ジェイゾロフト1錠落としてるっぽいですね。 ![]() こんなにたくさん飲んでいるのは夜寝る前だけだけどね。 メジャーのお薬って、 動いてなくてもおなかが空くようにできてるみたいな感じ。 胃が痛くても食べ物が入っていくもん。 あるいはある種の摂食障害が出ているのか。 また太って嫌だなと相方に話したら、 「でもこの1週間で何が変わった? 布団からちゃんと出て起きて、出かけられるようになったし、 人に会うこともできるようになったし、 ごはん食べにいけるようにもなったし、 仕事だってできたでしょう? ずいぶんできるようになってるじゃない。」 言うとおりだ。 健常者の人が普通にできることが、 ようやくできるようになってきてる。 でもたぶん、まだ足りなくて、疲れが出やすいのも事実。 処方では、残り6錠。 だけど私の1日は、他の人から見ても、少し慌ただしい日があるみたい。 どれだけ元気になれるんだろう。 そして、止めたらどうなるんだろう。 この間、相方は言っていた。 「まあさ、リハビリみたいなものだと思ってるから」 本当にそうだなあと思う。 元気になるためのリハビリ。 どうかこれで乗り越えられますように。 何キロかの内臓脂肪と引き替えに。 そう、薬を飲んで、アルコールを飲むから、 内臓脂肪が付きやすいんだけど、 これは運動とかするようになるとあっという間に減っていく。 アルコールが止められれば本当は良いんだろうけどね。 職業上、止めるわけにも行かないわけで。 ジプレキサを外して、また元通りになったら、 また何か考えないといけない。 無理せず、少しずつ前へ。 今までみたいに、疲れて倒れていても、 匍匐前進するみたいになんとか前へ進んでいたときみたいじゃなく、 なんとか、なんとか立って歩くことができますように。 ゆっくり、ゆっくりでいいから。 とはいえ、来週は相方も出張だし、 撮影の準備もしなくちゃならない。 出張についてくのもリフレッシュになりそうだけど、 植物がちょっと心配だから迷うところ。 周りがめまぐるしく見えるのは、 きっと私だけじゃないんだと、そう信じて。 テーマ:病気と付き合いながらの生活 - ジャンル:心と身体 ![]() |
病院に行って、ジプレキサが出てから、
少しずつ、少しずつ状況が良くなっていくのがわかります。 促されれば、出かけられるようになりました。 ごはん食べに行ったりして、 笑って楽しめるようになった。 昨日はひとりだったんだけど、 気が付いたらデリバリーが取れる時間じゃなくて、 近くのスーパーに物色しに。 お総菜はほとんどなくて、 結局、蛸のガリシア風と、豚トロの炒めたのと、 お総菜コーナーのナムルを買ってビビンパ作るのが精一杯だった。 それ作っただけでぐったり。 でも作れただけ上出来。インスタントじゃないもんね。 まあ簡単な物とお総菜を組み合わせたものだけど。 まだまだだね。まだもう少し。 今日は朝起きて、そのあと眠ることもなく、好きなことをする。 ネットでお買い物をしたり、花の手入れをしたり、 もらっていた種を蒔いたり。 明日とか、時間があったら腐葉土を買いに行こう。 畑に植えるための苗作りをするために。 そうだよね、 鬱病の治療の基本は、 のんびり休んで、好きなことだけして過ごすことだもんね。 骨折で言うと、お医者さんとか薬とか、 相方の優しさという松葉杖に支えられて、 ゆっくりと歩き始めたところかもなあ。 まあ途中、仕事のうち合わせとかもあるから、 髪を染めに行ったりしたいけど、いけるかな。 ちょっと白髪が酷すぎなので。 自分でしても良いんだけど、気持ちの余裕がないかなあ。 今週末はリフレッシュしておかないと、 たぶん頭が月曜の打合せの時に回転しないからね。 さあ支度をして、馴染みのみんなに会いに行こう。 きっとみんな心配してるから。 ちょっとは元気な顔を見せられるように。 テーマ:病気と付き合いながらの生活 - ジャンル:心と身体 ![]() |
先生がなだめすかしてプラスした、
1錠のジプレキサ。 すみません、こんな薬1錠で、ほとんど起きられません。 ともかくずっと寝てばかり。 お酒が入ると本当に起きられない上にともかく起きてても眠い。 これ、先生が「ともかく休んで」の技だったわけですかね。 朝9時くらいに一度目が醒めて、ベランダに出て、 布団に戻って薬を飲むとまた寝ちゃって、 お昼過ぎに目が覚めてごはん食べて、 お腹が一杯になるとまた寝ちゃって、 気が付くと夕方5時くらいで、みたいな(笑) お腹いっぱいになったので、今かなり眠いです。 「寝れぬなら 寝かせてみよう ホトトギス」 的な感じですか。 でも夜、お酒飲まないとなかなかそうはいかなかったりして。 あんまり良くないね。 どうしても中途覚醒しちゃうし。 そして部屋は荒れ放題だけど見て見ぬふりをするようにして、 やらなくちゃっていうことはともかくやらないようにしたりして。 ともかく寝るのが今の仕事。 そろそろ原稿も書かなくちゃいけないし、 いろいろやらなくちゃいけないけど、 そういうときだけで十分だよね。 ともかく眠って、目が覚めると、だんだんとだるさが取れて、 疲れが体の中から抜けていくのが判る。 睡眠ってやっぱり大切だなって思ったりする。 疲れが取れるまで、たぶんもう少し。 1〜2週間もしたら明るく笑って、 元気に出歩けるようになるかな。 問題は自分のペースの作り方。 きっとそこに問題があるから、 無理はしないで丁度良いくらいな感じを、 自分で見つけていけたらいいなと思ってます。 たぶん大丈夫。 疲れることがまたあったら、同じように休めば良いんだもん。 あとでfax届いているって言うから、見ておかなくちゃと思うけど、 明日で大丈夫かな。 プレゼントの画像も見繕って送らなくちゃ。 まあ、無理のない範囲で。 ともかく寝るとしますか。 テーマ:うつ病(鬱病)、メンタルヘルス - ジャンル:心と身体 ![]() |
昨日、相方に促されてやっとの思いでシャワーを浴びて、
休みだった相方に連れられ、外に食事に出た。 飛び切り美味しい料理屋で、美味しい和食をいただく。 食べていたら何やら知った顔が。 知り合いとわいわい話ながらの楽しい食事になった。 明日は病院へ行こうねと言われた昨日。 今朝、というか、真夜中に数回、中途覚醒して、 量を飲んだわけでもないのに、昼間に目覚めたときに膝を取られる。 いつ病院に行くの?と何度も言われて、 やっとの思いで受付時間ぎりぎりに病院にたどり着く。 ともかく疲れていると言うこと。 また、幻聴については「いわゆる幻聴とは違うかも知れないけど」 と言われた後で、 先生から入院を何気なく促された。 分かってる。その方がいいんだって事くらい。 でもね、ベランダいっぱいの植物の面倒は誰が見るの? しかも、蔓性の植物がいっぱい…… その話をしてみると、先生は 「それは彼のストレスになると思うからどうするかなあ」と言い出す。 もちろん入院が一番の選択なのは分かってる。 家が散らかっていることも、しなければ行けない家事も、 何も気にしないで済むし、 自然と体のリズムもできてくるから。 だけど今度ばかりはそうはいかないなと思って。 先生が悩んだ末に出した結論は、 ジプレキサの2.5ミリを2週間だけ出して、 後は何もせずに寝てもらう、と言う方法。 気になっても何もしないで家族のフォローを求める形。 メジャーは肥るからいやだ、と言っていた私に、 なんとか譲歩できる程度のやり方で薬を増やし、 様子を見る、と言う方法。 実際この数週間で、確実に背中にお肉がついているのが分かるし…… そこでメジャーをガッツリ出されたら即刻拒否されるのを、 先生は分かっていて、なだめすかしながら最低量で、 短い期間だけ試験的に出すことにしたというわけで。 摂食障害気味なことも話したら、 「なんかバランスが狂ってるんだろうね、なんかねえ」 と言う。 そう。何かのバランスが崩れてる。 整えるためには、寝て、規則正しい(ある意味で)生活をしなくちゃダメって事で。 相方に「今日から何もできないからよろしくね」と話をして、 昨日夕食を食べに行った先で出逢った人の経営するトラットリアでご飯を食べた。 ともかく休もう。 先生が言うとおり、何もしないで。 それがドレくらいの期間になるか分からないけど、 ともかく休みを取ることに集中しよう。 久しぶりのメジャー、飲んで寝ます。 お休みなさい。 テーマ:病気と付き合いながらの生活 - ジャンル:心と身体 ![]() |
強烈な悪夢を見て目が覚める。
汗をびっしょりとかいて、 呼吸が荒くて、 脈なんて、全力疾走した後なんじゃないかと思うくらい。 苦しくて、今日相方が念のためにと買ってきてくれていた、 レスキューを直のみする。 夢の中でフラバ寸前のパニック状態だったので、 なかなか落ち着いてくれない。 思わず時計を見た。 まだ2時前。 せめて明け方であって欲しかった。 そうしたら夜が明けていくのを待てばそれで済むのに。 たった1錠の薬が足りないために。 ベンザリン。侮れないな、ほんと。 ないと恐くて眠れない。 悪夢が酷くて出してもらった薬。 ないとこんなことになる。 ひとりきり、動けなくても、今の世の中、 ネットスーパーやデリバリーもあるし、 実際昨日もミネラルウォーターを2ケース届けてもらったり、 なんとか生きていける世の中だけど、 薬をもらいに行けないことがこんなにしんどいと思わなかった。 たった1錠の薬のために、 たぶん気がおかしくなるんじゃないかと思う。 明日の夜は相方がいる。 恐くて目が覚めても、人が側にいるだけでだいぶ違う。 まだ夜は長い。 相方が帰ってくるまでも長い。 まだ恐怖感も消え去らず、 幻聴も止まらないんだけど、 アスペン飲んだのが効いてくれて、 悪夢を見ないで眠れることを信じるしかない。 たくさんの友達から、 無理しないようにってメッセージをもらったり、 メールでたくさんの花の写真をもらったり、 たった一言、休むようにメッセージをくれた友達がいてくれたり。 本当に、その一言一言が心に染みる。 生まれて初めて、友達のありがたみを知ったみたいに。 眠れるだろうか。 まだ気持ちが落ち着いてくれない。 入院してたら、注射して寝るんだろうなあ。 その方が楽なんだろうか。 でも入院できないしな。 いろんなことを残して入院できない。 病院いけるまであと1日半くらいか。 あと一晩、頑張って過ごして、 頑張って病院に行こう。 今度はこんなことがないように、 ベンザリン、少し多めに出してもらおう。 何故か他の薬が余ってるから。 寝るのが恐い。 起きているのも不安。 昼間に寝ているときは酷い悪夢はみないのに。 ちょっと軽いのは見るけれど。 先生に助けてもらいに行こう。 この悪夢という怪物から逃れるために。 テーマ:病気と付き合いながらの生活 - ジャンル:心と身体 ![]() |
鬱病再発してから、病院に行くことができなくなった。
前にかかったときにはそんなことはなかったのに。 PDの発作で外に出られないことはあっても、 相方の力を借りてなんとか病院に行ってた。 仕事だけでエネルギーを使い切ってしまう。 正常な生活ができない。 でも入院はできないな。 ベランダの植物を残して入院できない…… 家でどれだけできるんだろう。 眠剤がもうない。 診察を受けるなら今週は今日が最後だけど、 それすら行くことができない。 どうしたらいいのかわからない。 とりあえず家にあるバッチを適当に飲む。 強烈な希死念慮は消えるけど、 相方に迷惑をかけることがものすごく辛い。 そうでなくても彼に迷惑をかけているのに。 なんか、生きている死体みたいな感じ。 生きているのに何もできないの。 もっとしっかりしなくちゃと思うけどそれができない。 自分の心は思うように動いてくれない。 彼に迷惑をかけたくない。 でもどうしたらいいのか判らない。 早く治ってくれたらいいのに。 それにはどうしたら良いんだろう。 薬はこれ以上増やせないって言われたし。 仕事もしたいし、やりたいことはたくさんあるのに。 どうしたら良いんだろう。 このまま波が収まるのをしばらく待つしかないの? 波だったらいいけど、そうじゃなかったらちゃんと病院に行かないと。 行ってちゃんと話をしないといけないのに。 本当にごめんなさい。>相方 謝っても謝りきれない。 誰が助けてくれるのか判らないけど、 誰かに助けて欲しい。 こんなの本当に久しぶりだ。 やっぱり鬱病はいやだ。 周りに迷惑がかかりすぎるよ。 テーマ:うつ病(鬱病)、メンタルヘルス - ジャンル:心と身体 ![]() |
このところ色々ショック受けたりして、
しんどくて、何も手につかなくて、苦しくて、 いろんな事を考えたけど、 昨日の夜、琉球のママから、 「弟や妹のことは良いから、 自分のことをもっと考えなさい。 あなたがお父さんと会うとか、お墓を捜すとか、 そういう大事なことをすることで、 自分の状況が良くなるんだから、 人のことは良いの。自分のことだけで良いの。」 といわれ、 あ、そうだよね、とふと気付く。 そして家に帰りつくと、 天使ちゃんに私の体は乗っ取られ、 明け方まで天使ちゃんの彼と電話したりして。 内容はあまり覚えてないけど、本人そのものだったらしい。 そのあと、眠りにつき、起きたのは当然昼頃だったりするんだけど、 ちゃんと薬飲んで寝たりしているのに、 本当に体が動かない。 ベランダの花たちだけが心配で、外に出て様子を見る。 姫うつぎがちょっと水涸れ気味なの以外は、 みんな恐ろしく元気で、 クレマチスとか、ものすごい勢いで伸びてるから、 それを誘引したり。 あとはハーブの整理を色々しないとなあ。 縁台を置くスペースを作らなくちゃ。 でも今日できたことはそれだけ。 明日の撮影のための準備が全くできない。 掃除も、着物を出すことも、半襟をつけることも、なんにもできない。 料理とテーブルコーディネートが決まってるのが救いだけど、 花を買いに行ったり、やらなくちゃいけないことはたくさんある。 明日は頑張らないとなあ。 意地でも頑張らなければ。 あとは原稿の締め切りまで、 次の打合せまで、 寝ていても良いんだから。 次の撮影は七夕だなあ。 笹ってどこで買えるんだろう、来月に。 編集部で手配してもらうかなあ。 なんか、ちゃんと薬を飲んでるのに、 鬱の状態はどん底に近い感じ。いわゆる大きい波が来てる感じ。 体が動かないっていうのは、前は経験があまりなかった。 でも先生、これ以上薬増やすつもりがないみたいだから、 しばらくは休め、ってことなんだろうなあ。 畑仕事もしたいし、やりたいことはたくさんあるのに。 浮上するまでしばらくの我慢かな……たぶん。 テーマ:病気と付き合いながらの生活 - ジャンル:心と身体 ![]() |
ふと思う。
母は、たくさんの人を傷つけて、 何を得たのだろう。 母は言った。 「私は流されて生きるのが好きなの」と。 ある意味では自由な人なのかも知れない。 感じるままに、感情の赴くままに、生きて。 でも、ちゃんと考えていただろうか。 誰がどんな風に自分を助け、生かしてくれて、 何を与えてくれたのか。 私が最初に鬱病を発症したとき、 とある占い師さんから言われた。 「あなたのお母さんは、 あなたの弟の方が好きで、 あなたのことが好きではないのね。 苦しい思いをするのなら、もう逃げなさい。 手伝っている仕事も、もう手伝うのは止めなさい。 そうしないと、あなたは本当に辛い思いをすることになる。 そしていずれ、あなたのお母さんは、家を失うことになる。」 私自身も、その人にそういわれた頃、 親との接触を避けるようになり、 最終的には主治医やカウンセラーから接触を禁じられたのだけれど、 本当に、うちの母は、家を失った。 というより、近い将来、本当に家を失うことになるのだと思う。 今は伯母が助けてくれているけれど、 それも今のうちだし、 二人とも年老いて、何が起きるかも判らない。 「私の気持ちなんて、あんたが子供を産まなかったら絶対判らない」 母はそういった。 私は、ACの連鎖を止めるために、 治療をして、ACを克服して、 病気を治さなかったら、 もう子供は産めないんだよ。 母がいう、子供を産んでからの気持ちは、 子供を産んだ友達の話を聞いていればよく判る。 それに耐えられなくて鬱になる子もいる。 そして母のように、育児放棄をする人もいるだろう。 そうして周りじゅうを傷つけ、 私たちが傷つかないように、 口をつぐんだままの大人達は、 それでも母を許し、 私たちを不安げな顔をして、いつも見ていた。 でも、年老いた今、母は、全てを失ってしまったんだよね。 店も、家も、恋人も、家族も、何もかも。 今母は、何を思っているんだろうと、ふと思う。 もうすぐ還暦を迎える母が、 これからの老い先を、どう考えているんだろうと。 今までのように、それでも、流されるままに生きるのだろうか。 そうはいかないんじゃないだろうか。 でも、私は、手をさしのべることはできない。 上手く行かないだろうし、 私自身に何が起きるか予想ができないから。 自分自身の治療費を考えたら、 親のことまで考えられない。 かといって、母は弟の所には行かないだろう。 それだけはしたくないって言っていたからね。 老人ホームにはいるのにもお金がいる。 そんな蓄えも、ないだろう。 あの人はどこへ行くのだろうね。 テーマ:病気と付き合いながらの生活 - ジャンル:心と身体 ![]() |
昨日の午後、久しぶりに、生まれ育った街まで、
改正原戸籍謄本を取りに行った。 父の戸籍をたどるために。 でも何ヶ月もいけずに、封筒を送れずに、 それが遅々として進まないので NHKのディレクターさんにお願いして、 一緒に行ってもらいました。 区役所へ、駅から向かう途中は、 音無川親水公園。 子どもの頃はただの小川だったこの場所も、 とても綺麗な公園に変わっていた。 桜を眺めながら区役所の方へ向かい、大通りに出ると、 飛鳥山光園の桜が見えた。 あんなに綺麗だったっけ。 住んでる間、なんで気が付かなかったんだろう。 区役所は昔と違って、庁舎がいくつも増えていて、 改正原戸籍を取れる場所を探すのにちょっと手間取ったけど、 窓口の人に書類の書き方を教わり、 しばらく待つと、窓口に呼ばれ、 「判りましたよ、どうぞ」と、2通の改正原戸籍を渡された。 父の本籍は意外に近いところにあった。 でも予想していなかった場所に。 千葉県船橋市 山梨ではなかった。 再婚したからだろうね。 でも、その2通の改正原戸籍には、 想像以上に辛いことがたくさん詰まっていた。 私が生まれて、2年目で協議離婚が成立し、 親権者は母になっている。 弟がお腹にいる間に、協議離婚が成立していることが、 そこには記されていたのだ。 その後、私は父の実家に預けられたことになる。 離婚が成立したのに、何故私や弟は、人に預けられなければならなかったのか。 そして、2番目の父との入籍してはいるけれど、 私と弟は養子縁組をされていない。 あくまで、「母の子ども」ということ。 これは予想をしていなかっただけに、ちょっとショックだった。 その父と協議離婚が成立したのは私が中学の時。 その後、3番目の父と「籍は入れない」と話していたのに、 よく見たら入籍している。 妹が生まれた約1年後に。 その前には父は妹を連れて確か家を出て行ってしまったはずだ。 妹が自分の娘なのだという証拠を残すための入籍。 その後すぐ除籍して、父の方に妹は戸籍を移している。 父には別の奥さんがいたはずだから、その戸籍に移しているとしたら、 妹は「養女」か「子」ということになるのかな。 妹は今二十歳だけど、 結婚をするときや、パスポートをとるときに、 戸籍を見て初めてその事実を知ることになるんだろうか…… 可哀想すぎるよ。 母の生きざまみたいな物がそのままに記録された改正原戸籍。 改めて、古傷をえぐられるような感覚を覚えた。 私はてっきり、弟を産んでから、預けられている間は離婚が成立していなかったと思ってた。 でもそうじゃなかった。 だって、私、お父さんと二人で、 弟が生まれたのを見に行った記憶があるもの。 弟の名前には父の名前から一文字取っているし。 それなのに何故? 妹のことも母にしてみれば、三番目の父に騙された事への、 一番効率の良い報復だったんだろうけど、 それで傷つくのは誰? 妹じゃない……。 酷すぎるよ。 その後ちょっとホワイトフォックスに寄ってから、 相方に電話をして、待ち合わせをして。 相方がお寿司を食べに行こうよっていうから、 お寿司を食べに行って。 相方はそのまま出かける予定だったので、 私はひとりで。 家にひとりでいたくなかった。 高円寺で馬鹿騒ぎできる、ラスメニーナスを目指すも、 良く考えたら月曜日。 街の中にぽーんとひとりきり、放り出されてしまった感じ。 近くのワインバーでとびきり良いワインを開け、 またしても帰りにマスターにキスを迫られる。 まったく。 そのあと、西荻までもどって、ミルチに行く。 途中で記憶が断片的になってるけど、 最後、アシャに肩を回されつつタクシー乗り場に引きずられるようにして、 帰ったような記憶があるのだけど、 帰りにしっかりコンビニで買い物をして帰ってきてた(笑) 目が覚めたら、頭痛が酷かったけど、 昨日のことはなかった事みたいだった。 誰に細かい話をした訳じゃないけど。 話しても辛い生い立ち話なんて、相手はつまらないよね。 でも、キツイよね。 改めて目の前にたたきつけられた現実は、 あまりにも残酷なものだった感じがする。 たぶん私や弟が預けられたのも、 母のわがままから始まったこと。 女として生きたいといった母の、わがままから始まったこと。 子どもは、親のおもちゃでもなんでもないのに。 まるで物みたいに。 本当は今日、とある作家さんに会う予定だったんだけど、 相方にだけ行ってもらった。 でもひとりでいることがとても辛い。 ひとりが辛い。 何かして忘れたい。 眠るのでも良いし、友達と飲んではしゃいでも良い。 ともかくなんとかして忘れたい。 でも忘れるわけにはいかないし、忘れる事もできないだろう。 父の居所や祖母の埋葬地を知るまでは。 今夜は何をしよう。 どうしたらいいだろう。 どうしようか。 また夜の街に出ようか。 テーマ:病気と付き合いながらの生活 - ジャンル:心と身体 ![]() |
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日々のよしなしごと、そして闘病記録。
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